甲子園観戦歴

2003年夏(母校アルプス応援)
2010年春(準々決勝・興南対帝京他)
2014年春(準々決勝・桐生第一対平安他、準決勝・履正社対豊川他)
2015年夏(準決勝・早実対仙台育英他、決勝・仙台育英対東海大相模)
2016年春(準々決勝・木更津総合対秀岳館他)
2017年春(3回戦・作新学院対秀岳館、早実対東海大福岡、静岡対大阪桐蔭、再試合×2)
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6度目の聖地・甲子園

3月27日
今年も甲子園にやってきました。今回は近所の山仲間の野球好きな中2の息子を引き連れて。初めて訪れた聖地・甲子園で彼は何を感じるのか。そして偶然にもすぐお隣には早稲田実業・清宮選手の父率いるラグビー集団も登場(笑)
北アルプス・焼岳

3月25日
焼岳南峰より望む槍穂高連峰。山並みを眺めながらちょうど1年前は槍ヶ岳にいて、あれからもうすぐ3年かと思ったりもする。初めて訪れた焼岳は気持ちの良い晴天に恵まれ、久しぶりのラッセルは良い時間。良い山でした!
谷川連峰・阿能川岳〜小出俣山

3月20日
阿能川岳から谷川岳までの縦走を計画するも、18日の夜中から風雪は強まり、19日の朝は風速20m前後のブリザードに阻まれ小出俣山からオゼノ尾根を下り川古温泉へエスケープ。何年も前から気になっていた俎嵓山稜はまたの機会に。天候回復した本日は一ノ倉沢見物へ。

谷川連峰へ

3月18日
風邪菌を追っ払い谷川連峰にやってきました。よっぽどじゃないと病院には行きたくない私ですが、今回も病院には行かず自宅静養。病み上がりの身にはハードな山ですが、昼から晴れて景色は最高です。目の前に谷川連峰の山並み。この絶景が1番の薬といえるかもしれません。小出俣山(左)の向こうには真っ白な谷川連峰国境稜線。仙ノ倉山、万太郎山(写真)。
赤岳鉱泉2017冬勤務終了

3月13日に今冬の赤岳鉱泉勤務を全て終え下山してきました。八ヶ岳最終夜は2階に自主避難し38度程の発熱に苦しみながら、WBCオランダ戦を観ながら歓声を上げる小屋番の声が1階からは聞こえてきました…。生で観たかった。13日は多賀谷さん、熊田さん、平岡さん…山岳ガイドの重鎮氏とすれ違いながら下山。喉痛によるハスキー声ではありましたが、ご挨拶でき良かったです。赤岳鉱泉でお会いした皆様、お世話になりました。厳冬期の小屋番生活はとてもハード。毎週末お祭騒ぎの赤岳鉱泉はなおさらです。私なりに貢献できたのではないかなと思います。今日も1日布団の中でしたが、しばし静養して次なる物語に備えます。来年の計画に向けもっとタフな人間にならんといけません。写真は下山前に小屋番仲間と。楽しい冬をありがとうございました。アイスキャンディ職人・Kさん撮影。
物語の始まり
この遠征の発端は2015年12月27日〜2016年1月1日、5泊6日の飯豊本山であった。はてしないラッセル。風雪の中の飯豊本山山頂。12月31日夕方、山行中で唯一晴れ姿を現した飯豊連峰主稜線、三国小屋より望む大日岳。とてもとても印象深い山旅は新潟山岳会の方々に誘われ参加した。あの時、切合小屋だったか、同行した穂高さんがポツリと「K2遠征に手を挙げてて…」と言った。マナスル遠征から帰ってきた僕は次の海外遠征の事など考えられず、酒を飲みながらうわの空で聞いていた・・・。断片的の記憶しかない。
あれから年月は流れ・・2016年夏は南アルプス・北岳で働いていた。その間、秋に友人とヒマラヤに行くことが具体化し決まった。高所未経験のその友人の「ヒマラヤを見たい」という思いに応え同行を決めた。行き先は足さえ動けばいつでも行けるエベレスト街道などは除外し、私の意向で外国人のほとんどいない昔ながらのネパールヒマラヤが残るマカルーエリアに決めた。私はネパールは6度目であったが、マカルーエリアは初めてで楽しめた。マカルーBCからの帰りは地元の放牧に来る村人しか知らない絶景の道を辿り同行のシェルパの故郷の村を訪れおもてなしを受けたりと忘れられない旅になった。日本では味わえない高所の苦しみや、ヒマラヤのスケールの大きさを体感した友人にとっても唯一無二の経験になったと思う。
マカルーBC(4700m)からは目の前に標高差3700mほどでマカルー(8463m)が聳え立っていた。余裕があった私はマカルーを眺めながら、またヒマラヤの高峰にいつか挑戦したいなと思う自分自身がいた。
マカルートレックからジープやローカル夜行バスを乗り継いで首都・カトマンズに戻り翌日からはランタン谷を初めて訪れる。昨年4月25日のネパール大地震による被害が最も大きかったといわれるランタン谷。村が消失したランタン村をはじめ、大自然の猛威を見せつけられるか、人々は笑顔で強く生きていた。厳しい環境の中でとても印象的。1度しかない人生、精一杯生きなければと思う時間だった。
日本に帰国し、いつもの日常に戻りながら、もんもんと考えていた。何故かネパールから帰国後あまり山に気は向かなかった。
写真を整理しながら、日本の山旅やこれまでの海外の山旅、マナスル遠征の写真を眺めながら、そう言えば穂高さんがK2の事を言ってたな・・
あまり深くは考えずに連絡をしてみた。2017年1月14日のことである。くしくもその前日の1月13日にK2の初登頂をしたイタリア隊の一員で最後の生き残りアブラム氏が95歳で永眠していたそうだ。それを知ったのは小屋番をしていた八ヶ岳から下山してきた3月10日に本屋で読んだRock&Snowの特集でである。



山の声

1年前の聖岳東尾根〜上河内岳は記憶に深く刻まれる印象的な山旅。東尾根稜線は烈風が厳しかった。昨冬の山旅では飯豊本山(年末年始)、白毛門〜巻機山(3月)とならび特に印象的。山の声を聞きながら前進するああいう山旅をまたやりたい。今冬の赤岳鉱泉勤務も残りわずか。その後に計画している山旅が今から楽しみです。