今冬初めての赤岳へ

2月24日
外勤(歩荷)のち内勤のち午後4時出発で赤岳(2899m)へ。今冬初めての赤岳。静かな山を楽しめました。夕暮れる山が美しかったです。山は良い!



権現岳の向こうには南アルプス北部の山並み。仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳、鳳凰山…春夏秋冬思い出深い山々を遠望する。噴煙上がる木曽御嶽山は印象的で、北アルプスの連なりも見事でした。貸切の山頂を満喫。



夕焼けに染まる八ヶ岳主稜線を眺めながら下山。赤岳鉱泉から文三郎尾根→赤岳→地蔵尾根の周回を2時間10分ほどで歩きましたが、良いトレーニングになりました。。心肺機能の弱さを再認識。アイゼンの感触を確かめられたのは良かったです。
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屋根の雪下ろし

2月21日
屋根の上から望む南八ヶ岳の稜線は今朝までの積雪で真っ白!スカッとした青空に映える白き稜線を仰ぎながら雪かきに精を出しました。

29年目

2017年2月15日、29年目を八ヶ岳・赤岳鉱泉で迎えました。小屋番仲間に祝っていただきました。メッセージを送ってくださった皆さんもありがとうございます。この365日も日本各地やネパールヒマラヤを訪れて充実。聖岳東尾根〜上河内岳、仙丈ヶ岳地蔵尾根、白毛門〜巻機山、大喰岳西尾根〜槍ヶ岳、月山、朝日連峰、利尻山、石狩岳〜トムラウシ山、高嶺〜鳳凰小屋、剱岳南壁、白峰三山〜白峰南嶺、ネパールヒマラヤ…記憶に末永く残る山旅もたくさん。山旅に同行してくださった山仲間の皆さん、そして山小屋(北岳肩の小屋&赤岳鉱泉)まで訪ねてきてくれた皆さん、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。写真はマカルーやエベレストをはじめとするヒマラヤの巨峰をバックに。新たなる大きな目標も出来たので、その挑戦に向けて精進していきます。
荷上げのち硫黄岳へ

2月16日
荷上げ(ヘリコプター10便)のち硫黄岳へ。今年初めての八ヶ岳稜線。終日快晴で貸切の硫黄岳山頂からは北アルプス、頸城山塊、谷川連峰、南アルプス、中央アルプス、木曽御嶽山・・・360度の展望。素晴らしかった!写真は赤岩の頭より遠望する北アルプス(立山連峰〜鹿島槍ヶ岳〜白馬岳)と蓼科山。雪の上に座りしばし山を眺めている贅沢な時間でした。山は良い!
甲斐駒ヶ岳

2月14日
中央線の車窓からは南アルプスが綺麗です。写真は甲斐駒ヶ岳。2014年12月23日に黒戸尾根から登ったのが最後。3月上旬までは山仕事に集中し、下山してから甲斐駒ヶ岳をはじめ南アルプスの山々に登りに行こうと思っています。
蔵王・仙人沢アイスクライミング

2月12日
昨日は蔵王・仙人沢へ。風雪の中のアイスクライミング。ボルダー氷柱、糸滝、ミニ氷柱を登りました。久しぶりの天然氷は硬く私のレベルでは登りきるのがいっぱいいっぱいでしたが楽しめました。大変に忙しい2月週末に休暇をいただきました。赤岳鉱泉の関係者に感謝です。下山後は北国の岳人の皆さんとしんしんと雪降る中でのテントで大宴会。物語の始まりです。

憧れの8000m峰・マナスル(8163m)序章
2014年11月22日、屋久島での山旅を満喫し、東京に帰ってきた僕は満員電車の中にいた。大自然のゆるい世界から、夜の東京の光景は同じ国とは思えない切迫感があった。頭の中は翌2015年のヒマラヤのこと。
この数年間は山が人生の主であった。
日本各地・ネパールヒマラヤ・アコンカグア・パタゴニア・アラスカデナリ・ペルーアンデス・・・いろいろな場所に行った。
山小屋で働いたり、登山道工事をしたり、、、山で働き、山に行き、たくさんの素晴らしい景色や人に出会った。それは充実した日々である反面、常に不安のある日々であった。いろいろな人にいろいろな事を言われた。それは思うがままにやってきた自分なんかを気にしてくれるというありがたい気持ちがある反面、時に僕を苦しめた。この日本という国で自分のような不安定な生活は、世間一般的には否定的な見方があると思う。欧米諸国の登山者と触れることが増えるにつきその思いは募った。
両親も定年退職もまもなくという中で、俺は俺は・・・葛藤は大きい。この苦しみから解放されるには、就職して安定を得ることかもしれない。
でも山を始めた頃からの夢、
「8000m峰に登る」
それを曲げたくはなかった。

今やエベレストをはじめ、8000m峰を登ることは、特別な行為ではない。
自分の両親ぐらいの年齢の人がシェルパや酸素ボンベの助けを借りて登ることもザラだ。そこに価値があるかどうかは、個人的な価値の問題である。

2013年秋のアマダブラムは、サイクロンがもたらした10年に1度とも言われる大雪により雪の状態が極めて悪く、雪崩の危険性もあり登ることができなかった。あの悔しさは忘れることはないだろう。アタックもできず、山の核心部に触れることもできずの無念の敗退。ヒマラヤという大自然の前に人間は無力だ・・・わかってはいるけど・・・そこに懸ける気持ち、莫大なお金・・・並大抵ではない。
山を下りる道中、アマダブラムを振り返りながら、僕はなにをしているんだろう、そんな事を考えていた。一区切りをつけるはずだったアマダブラムの挑戦は、僕の中に悔しさだけを残した。

しかしながら、その悔しさがあったからこそ、宮西さんのアコンカグアの誘いにのり、初めてとなる南米大陸を踏み、アコンカグアで初めての高度を経験し、パタゴニアの絶景を眺め、良い出会いもあり・・・
アコンカグアの山中で生まれたアラスカ・デナリ(マッキンリー)、そしてペルーアンデス。物語は続いていった。初めての土地を知ることは良い経験になったと思う。
きっとあの時アマダブラムに登れていたら、南米にもアラスカにもペルーアンデスにも行かなかったような気がする。人生は面白い。そして再びヒマラヤに行く。
挑戦しないことは、後に後悔をもたらす、そんなことを思いながらパイネ・ガッシャブルムの巨大ザックを背負い、家に向かって夜道をふらふら歩いていた。
それから4日後の11月26日、ネパールヒマラヤ帰りの花谷さんを囲む。死についての話が印象的だった。「田口くんにも近い将来必ずその瀬戸際が来るよ」。修羅場をたくさん経験している花谷さんの話は重かった。帰りの電車で井賀さんと話し込む。「お前が進むべき道は8000mにトライして見えるかもな」。憧れ続けたヒマラヤ・8000mの世界で何が見えるか。1年後の来たる挑戦を想いながら夜道を歩いていた。
〜以上、当時書き記していた日記から〜
憧れの8000m峰への挑戦No1〜マナスル(8163m)〜
8月30日
山田駅543→616調布駅630→成田空港1030→マレーシア・クアラルンプール→ネパール・カトマンズ
荷物:預け荷物34キロ、重量3キロオーバー=9700円(80ドル)※1ドル=約120円
手荷物14キロ(笑)

8月31日
カトマンズ滞在
9時半集合、プジャ。ボダナートへ。同行したのはペンバヌルシェルパ。長々と読経されると思いきやあっさり終わり拍子抜け(笑)ホテルに帰着し、泉さん、藤井さんとタメルへ。桃太郎で昼食、僕はとりうどん。エベレストハードウェア御用達のお店へ、お店の兄ちゃんなんと結婚してた!それも日本人女性と1週間前に(笑)いつもジョークを言うので、今回もそうかと思ったら写真を見せられ…本当でした(笑)サプライズすぎる。
エベレストハードウェアのダウンジャケットは無く、マナスルの地図と、絵葉書(マナスル、カンチ、エベレスト)7枚を購入して帰る。帰り際、1万円を両替。レートはサービスしてもらい0.865。ボダナートに行く前にホテルでも30ドルを両替。15時までに荷物わけ、陸路輸送を引き渡す。ペンバヌルがベシサハール、ラルケパス経由でサマ村に輸送するとのこと。
その後、平岡さんとエージェントの社長・タムディンと観光省へ。今回の登山のブリーディング。藤井さんも同行。リエゾンオフィサーなる人物は単なるおばちゃんでした(笑)
夜は皆さんとホテル近くのチベット料理屋へ。ギャコックを食べ、ビールを飲みながら話が弾みました。

9月1日 曇時々晴
カトマンズ滞在
ヘリコプターがやって来ず今日のフライトは中止で、結局はカトマンズ待機。

9月2日 晴のち曇
カトマンズ→サマ村
朝のヘリコプターでサマ村へ。ヘリコプターの助手席に乗り、パイロットと話たりする。ヘリコプターからは雲間にガネッシュヒマールやスリンギヒマール、ヒマルチュリが見える。午後は泉さんとお散歩。マナスルベースキャンプの道を3750mほどまで。最後は道を外れ、氷河湖を見に行く。

9月3日 晴のち小雨
サマ村→ホンサムゴンパ
朝、マナスルが望める。望遠レンズで撮影した写真はすごい迫力!標高3520mのサマからその頂まで標高差で4600m以上もあり、高けーなーというのが第1印象(笑)そしてその勇姿がかっこよす!
シェルパの紹介をうける。
・ペンバギャルツェンシェルパ(サーダー)
・ペンバヌルシェルパ(ラルケパスから陸路輸送)
・ニマヌルシェルパ
・ニマカンチシェルパ
順応トレックでサマ村から下流側に下り、途中から街道をそれ氷河からの川を遡りホンサムゴンパへ。
激流沿いを登り、広大なアプレーションバレーをひたすら歩く。雲間には巨大な白峰が。P29(7900m)である。遥かに高く大きい。集落を横目に最奥のゴンパへ。人は不在であったが、その景観は独特なものであった。帰りは小雨交じりの中を一気に下った。

9月4日
サマ村滞在
今日は1日サマ村でレスト。朝から村の高台にあるゴンパへ。87歳のラマ僧(年齢を聞いて驚愕)にプジャをあげていただく。天気は良く、マナスルが素晴らしい。宿に戻り、まったり。
テラスで「青春を山にかけて」を読んでいた日本人の女の子・みなみやまりんちゃんとしばし話す。
彼女は国際公募隊でマナスルに来ており、来春にはエベレスト登頂を目指すとのこと。ゆくゆくはセブンサミッツと。若い挑戦を心から応援したい。彼女に「なぜ山に登り、頂に登ってなにを感じるんですか?」と当たり前で答えに窮する事を聞かれる。山登りを始めて9年、その頃から憧れていた8000m峰登頂。脳細胞を破壊しまくり、息を喘ぎ苦しむヒマラヤ登山。このマナスルを終えた自分はどこに向かうのか。午後はただマナスルを眺めていた。
憧れの8000m峰への挑戦No2〜マナスル(8163m)〜
9月5日 晴のち霧
サマ村(3520m)755→1200マナスルBC(4720m)
今日はいよいよBC入り。
ゆっくりゆっくりと歩く。
やがてグループ内で差が開いたので、許可を得て先行する。自分自身のペースが1番。息を乱さないように気をつけながら、ビスターリビスターリでゆっくり登る。所々でポーターやヤク使いで簡単な英語でコミュニケーションをとる。サマ村のポーターは女性が多いように思えた。途中のバッティ(お茶屋)を越え、ゆるやかな斜面でサマ村や氷河湖を俯瞰しながら休憩しているとシェルパに「こんにちは」といきなり日本語で挨拶をされ、ここぞとばかりに彼と話す。実はサマのロッジで顔を見てから前に会ったことのあるシェルパではと思っていた。「村はエベレスト街道のパンボチェですか?」と聞いてみると、彼も驚きいろいろ英語で話す。彼はアドベンチャーコンサルタンツのサーダーで、名前を聞くとダワザンブーシェルパ。彼の兄弟・チワンドルジシェルパとは2011年のエベレスト街道・チュクンで縁あって友達になり、ドルジの家族の写真を日本で引き伸ばしたものを2013年アマダブラム遠征でチュクンを再訪したおりにプレゼントした。奥さんはチュクンのカルカにいたが、ドルジはアドベンチャーコンサルタンツのアマダブラム遠征に参加するためにパンボチェにいた。わざわざロッジに訪ねてきてくれたドルジと話をしていたおりに紹介されたのがダワザンブーシェルパだった。その時の顔とアドベンチャーコンサルタンツの帽子で思い出したのである。
ポーターやヤク使いと行き交いながら、ゆっくりゆっくり登り、12時ちょうどにマナスルBCに到着。平らな気持ちの良い場所である。
夕方、テントの整理を終え、大きな石の上でぼんやりしているとすぐ隣のHimex隊の外国人に声をかけられる。彼の名はパウロ、アルゼンチン人だという。昨年行ったよというと喜び、アコンカグアやパタゴニア、そしてフットボールの話をする。思えばパタゴニアでは晴天に恵まれ素晴らしかったなと思い出す。ロサリオ在住の彼が応援するフットボールチームはロサリオセントラル。あのディ・マリアやマスチェラーノを輩出したチームである。

9月6日 曇時々晴
マナスルBC
プジャをする予定であったが、プジャで飾る登攀具が到着するのが午後になるとのことでプジャは延期に。
BCの上へお散歩に出かける。夜は満天の星空。ヒマラヤならではの星の近さ。三脚を持参していないので、一眼レフカメラを巨岩に押し付けて頑張る。

9月7日 晴
マナスルBC
快晴の下、青空に映えるマナスルを仰ぎながら登山の安全を祈願するプジャが行なわれる。サマから来られたラマ僧の読経が鳴り響く。気合いの入ったプジャは3時間ほど続く(笑)こんなに長いのはめったに無いらしい。途中、ツァンパ(小麦粉)を天に投げ、顔に塗りあい、お供えしたお菓子やお酒を飲み・・・Himex隊のラッセルプライス隊長やサーダー(シェルパ頭)、他の隊のリーダーなども来られ和やかな時間が過ぎる。
Himex隊のシェルパが荷上げに行っていたので当初予定されていたシェルパダンスが見れなかったのは残念だった。踊りながらシェルパ達の低い歌声がこだます・・・アマダブラムBCでの光景は忘れられない。
夕方、1人読書をしているとキッチンに招かれチャン(米の濁酒)をご馳走になる。今日はお祭りとのことでHimex隊のシェルパ達も遊びにきて、酒を飲みながら楽しくやっていた。明日始めてC1に行くので一杯で止め、お茶を飲みながらシェルパ達の愉快なやりとりを眺めていた。

9月8日 晴
マナスルBC(4720m)625→935Himex(5400m)C1→1020マナスルC1(5560m)1100→1250マナスルBC
今日は初めてマナスルC1へ。歩き始めからサーダーのペンバと先行する。良いペースで岩場、クランポンポイント、氷河をどんどん歩く。ものすごい良いお天気の下、ひたすら歩く。HimexチームのC1から自分達のC1までが長かった。C1からは素晴らしい景色。ネムジュンやギャジカンなどのペリヒマールの山が素晴らしい。しばしペンバとC1に滞在し、下山。下りは早い。途中、荷上げしているまりんちゃんとも出会う。快調にBCまで下山。昼からは石の上に座りながらのんびり過ごす。

9月9日 晴時々曇
マナスルBC
シャワー、洗濯、チャン
今日は1日休養日。夕方にはキッチンで泉さんと2人チャンを飲みながら、シェルパの会話を眺めている。やや飲み過ぎて苦しかった(笑)

9月10日 晴夜中雪
マナスルBC810→1255マナスルC1
高所順応でC2を目指し出発。荷上げをするシェルパ達は後から来るので全員一緒にクランポンポイントまで。そこでシェルパと合流。フィックスロープもあるので、先行して氷河を歩く。相変わらず好天が続く。今日は高所羽毛服や食料など荷上げをしているのでいつも以上にゆっくりゆっくり。氷河から上方を眺めていると、C2付近やC3近くにも人が見えた。C1に着くと先行していたシェルパがテント設営中。テントが設営されてからは荷物を広げまったり。カリーコプラ隊はC2泊で今日C3タッチをしてきたらしい。無酸素登頂をするにはC3(6800m)には到達しておきたいところだがはたして。先の天気予報が厳しい。。C1からの夕暮れの景色は素晴らしかった。今夜は泉さんとテントを同宿。アマダブラムC1以来だ、あのテントは辛かった(苦笑)いろいろと話をして就寝。明日はいよいよアイスフォール。夜中に数センチの新雪が降る。
憧れの8000m峰への挑戦No3〜マナスル(8163m)〜
9月11日 晴くそ暑し
マナスルC1・645→1020・マナスルC2(6100m)
良いお天気の下、C2目指して出発。Himexチームが先行。雲海の上に白峰が浮かぶなんとも言えない素晴らしい景色が広がる。フィックスポイントからはシェルパが先行し、自分も先行。ペンバギャルツェンシェルパとのんびりのんびり行く。あっと言う間に平岡さん他メンバーとは差が広がる。トラバースからBCからも目立つ急な雪壁へ。急壁は一気に息があがる。連続するトラバースや雪壁を乗り越えながら前へ前へ。Himexチームのメンバーに挨拶しながら抜かしたりしていると、一箇所クレバスの上をハシゴで乗り越える箇所があり。Himexチームのパウロ(アルゼンチン人)に追いつき簡単に会話をしながら、しばし休む。標高も6000mを越え、かんかん照りの下、息も上がる。Himexチームのシェルパとすれ違い、田村さん&若い女性コンビに追いつき、ゆっくりゆっくり登ると遠くにC2のテントが見える。そこからが長かった。最後は亀の歩みでC2着。C1から3時間半、良いペースだったと思う。ゆっくり周囲の景色を見回す。今日はとにかく暑かった。今日はC2泊の予定であったが、今晩から天候が崩れるらしく、Himexチームは泊まる予定を止め下山するとのこと。シェルパも平岡さんと無線でなにやらやってる。今日下りた方が良いと言うシェルパと、とりあえずC2で待てという平岡さんとでこちらは身動きできず。無酸素登頂を目指すなら、今日シェルパとともにC3タッチへ行けばと無線で平岡さんに言われるも、そんな雰囲気では無い。結局どうするかは平岡さんの到着を待つことに。しばし青空の下、マナスルを仰ぎながらシェルパ達とのんびり。到着して約2時間半後に泉さん、最終組が到着したのは4時間以上後であった。ヘロヘロな最後組のお二人も、しばし押し問答の末、泊まることに。僕たちのテントは3人で1張。18時前には就寝体制。寝るには早すぎるので、日記を書きながら過ごす。標高6100mほど、この高度で寝るのは初めてだ。しかも今日のテントはなんと3人。ぎゅうぎゅう詰めであり、息苦しい。昨年の南米・アコンカグアのファイナルキャンプを思い出してしまった(笑)

9月12日 雪のち雨(BC)
マナスルC2・630→745マナスルC1・915→1035マナスルBC
長い夜をやり過ごすか。寝苦しく、頭は重く少し痛む。久しぶりの6000m台、この旅始めての高度での宿泊、苦しくて当然、まぁそんなもんだろう(笑)平岡さんのGPSでは標高6300mくらいあるらしい。6時スタートを目処に準備する。外は雪。下りは先行、雪に埋もれたフィックスロープを掘り出しながら先頭を行く。最初の急な雪壁を下り反対側に渡ると、後ろから悲鳴が!見ると泉さんがスリップし、ロープに宙ずりに。。スノーバーも1本抜けて、顔は青ざめ。。後ろの他チームのシェルパに救出され、平岡さんも助けにおりてきた。後で聞くと、サングラスは真下のクレバスに消えていったらしい。。その後も1人先行し、フィックスロープ頼りに下る。時に懸垂下降をまじえて。慎重にセーフティもとりながら下り、C2から1時間15分ほどでC1へ。テントの雪を払い、デポ(シュラフ)をぶちこみ、後続を待つも霧の向こうからコールやら悲鳴が聞こえるだけ。先に下りてきたC2で同宿してたブルガリア人(髪の長い兄ちゃん)と泉さんを救出したそのシェルパと少し話をし見送り、降りしきる雪の中で待つこと1時間。ようやく後続が到着。C1からはサーダーのペンバと先行してかけおりた。C1からBCは1時間20分。BC到着後に雨は強くなったので助かった。お腹が空いていたので、ダルバートを軽く頂戴し、ちょうど1時間後に他のメンバーが帰ってきたので昼食。午後は空気の濃いBCゆえに爆睡でした。

9月13日 曇時々雨
マナスルBC
今日は1日休養。午前中、晴れ間が見えたすきにシャワーを浴びてさっぱり。昼食後は酸素マスク&レギュレーター講習。午後はもっぱら寝る。

9月14日 雨時々曇
マナスルBC
本日も1日休養。天気が悪いので、ひたすら読書。「神々の山嶺」を読むも、気分転換で「8000mの歴史」を読む。今いるマナスル編から。夜はHimexチームのガイド・田村さんが30年以上前に宣教師で九州(宮崎、熊本、鹿児島、沖縄…)に来ていたという隊員のグレッグさん(アメリカ・ユタ州)を伴い我がダイニングへ。てんぷら、海苔巻き、豚カツならぬバフカツ…ビールになぜかリクエストしていないのに僕と泉さんにはチャンが出され(笑)、とどめは田村さんが持参した洋梨シュウェプッス(40度) を飲み良い気分で夜は更けていった。
明日からHimexチームはC2宿泊の順応に出かけるらしい。自分達も好天続けば次はサミットプッシュの予定であったが、19日頃から悪天候が続くらしい。そのためサミットプッシュは先に延びたが、ずっと休養しているのもあれなので、C3タッチを目標に順応に出ることに。もちろん天気次第ではあるが、自分はC3宿泊を目指す。今回C3に宿泊出来れば、無酸素登頂の可能性も出てくるだろう。やはり7000m付近にタッチしておかなければ無酸素登頂には届かないと思う。諦めかけてたものが復活してきた。

9月15日 雪時々曇
マナスルBC
天気予報は見事に外れ、朝から結構な降りの雪。出発はひとまず明日に延期に。。C3に行けるかと思っていたが、天気ばかりは仕方ない。そんな中、未だC2に宿泊していないHimexチームは雨の中出発していった。残りわずかな「神々の山嶺」を読了し、昼寝をしているとシェルパ達の声で目が覚める。テントから顔を出し外を見ると、雨は一時的に止み、シェルパはバレーボールで対戦。やたら白熱しているなと思ったら、やはりお金をかけて試合をしていた。Himexチーム対アドベンチャーコンサルタンツ他。試合はアドベンチャーコンサルタンツ側の勝ちだったようだ。Himexチームのボス・ラッセルブライスやシェルパ、アメリカのアルティテュードジャンキーのボス・フィルクランプトンやサーダーのドルジ、アドベンチャーコンサルタンツのサーダーのダワザンブーシェルパなどをはじめ観客もたくさん、しまいにはラマ僧まで眺めていて笑えた。明日は出発できると良いのだが。

9月16日 晴時々曇
マナスルBC900→1320マナスルC1
気持ちの良い快晴の朝を迎える。C1目指してのんびりと出発。氷河の中ではうちのシェルパ(ニマヌル、ニマカンチ)、アドベンチャーコンサルタンツのシェルパやHimexのシェルパとすれ違い、ACのサーダーのダワザンブーシェルパやHimexのナムゲルシェルパやその後来た2人の若いシェルパと少し話す。歩き始めはお腹がパンパンで苦しく歩きづらかったが、HimexのC1への登りぐらいから調子が出始め、HimexC1でアドベンチャーコンサルタンツの大軍勢を一気にかわし、順調にC1へ。今回も泉さんと同宿。夕方、ヒマラヤンアセンツ(ネパールの会社)で来られている横浜出身の年配の方と出会う。

9月17日 雪昼前より強し
マナスルC1・630頃?→1135マナスルC2
朝6時に出発。平岡さんと先行するも、最初のフィックスに入る前に後続で緊急事態。藤井さんが下山するらしい。とりあえず平岡さんは下り、僕は泉さんと雪まじりの中先行するも…泉さんも調子が悪いらしく…先行してはその都度に泉さんを待ちながらゆっくりゆっくりゆっくり。今朝BCを出たシェルパが追いついてくるやと思いきや、C1でもめてるらしくなかなかやってこない。止まり止まりでは調子も出ず、雪の中で我慢の登り、そして待機。C1が見える辺りからは先行し、C2に着くとHimexチームがちょうど下山してきたようで田村さんと少し話をする。C2に2泊し今日はC3の少し下まで行ってきたと。残置してあったテントで休んでいるとサーダーのペンバが到着。C1にはマリンちゃんもいてしばし話をする。彼女は元気にやっていた。なんとも頼もしい。彼女の名刺には登山家ではなく冒険家とあるらしい。そのうちに泉さんが上がってきて、15時過ぎには木賊さんと平岡さんが上がってきた。天気は雪が降りしきる。夕方には差し入れを持ってマリンちゃんのテントを訪ね、山の事などを話すも次から次へとシェルパやら欧米人…来客が来て賑やかだった。サマで彼女が読んでた「植村直己・青春を山にかけて」は読了し、今は「モーリス・エリゾーグ、アンナプルナ登頂」を読んでいるんだとか。今から65年前の8000m初登の話。なんとも渋い。気になったのは、今日C3へ向けて順応行っていたエクアドル人が下る途中に雪崩で20mほど流されたようだと聞いたこと。過去に雪崩事故が多発しているマナスルのC2~C3間、そこにきてこの積雪じゃなぁと、降りしきる雪を眺めながら思う。明日は可能ならC3に行きたいがはたして。。今回の順応トレーニングはC3に行けなければ、「無酸素登頂」という自己の目標に向けてはあまり意味がないようにも正直思えてしまう。。天気予報は乏しくない。

9月18日 雪
マナスルC2→マナスルBC
昨夜から雪は降り続き、朝も大雪模様。またしてもC2の朝はお天気悪し、C3には行けずじまい。。雪降りしきる中を何回か懸垂下降しながらフィックスロープにセーフティをかけながらC1へ下山。C1では雪に埋もれたテントを掻き出していると、BCから3人のシェルパが次々と上がってくる。ペンバヌルは傘を差していた(笑)降りしきる雪に埋もれている他チームのテントもあった。メンバーを待って下山。最後は雨の中をBCへ。昼食は、ご飯、具沢山(じゃがいも、なす…)のみそ汁、肉じゃが、春雨とソーセージの和え物、冷ややっこ、フルーツと盛り沢山。これにて順応もおしまい。。好天到来を祈り待つだけである。「8000mの歴史」は読了していたので、沢木耕太郎の「凍」を読み始める。
憧れの8000m峰への挑戦No4〜マナスル(8163m)〜
9月19日 晴
マナスルBC
朝から気持ちの良い晴天。シャワーを浴びて、洗濯をする。シェルパは昼食に向けて、せっせとモモ作り。昼頃にはヘリが旋回していて皆が見上げていた。なにかあったのだろうか。天気が良く良い雲が出ていたので久しぶりに望遠レンズをつけ、マナスル・ピナクルを激写する。夕方にはサマ村からロキシー売りの女の子が現れ、泉さんとドゥルガがお買い上げ。泉さんは女の子と満面の笑み(笑)僕も今回初めてのロキシーを頂戴。良い気分になる。夕方には外国人(チェコ・スキー隊)対シェルパのバレーボールが行われ、観衆もたくさんいて白熱していた。

9月20日 曇のち晴のち午後から雨
マナスルBC
今日も1日レスト。朝食を食べていると、晴れ間が見え出し、午前中は良いお天気になる。泉さんやペンバらと丘の上に登り、サマ村やスリンギヒマール方面を眺めながらのんびりする。マナスルも素晴らしい。双眼鏡でC3に入るルート工作隊を眺める。今まで情報が錯綜していたが、聞くところによると、C3から先のルート工作は未だ出来ておらず、C3~C4間のルート工作を担当するというセブンサミッツ隊のルート工作は全然進まずとか。今日はどうだろうか。。これから到来するらしい悪天候が過ぎ去ったら、Himexら各隊で一斉にルート工作をするのではという。夕方には今日もシェルパが楽しそうにバレーボールをやっていた。しばし眺めていたが、雨が降ってきたのでテントに引っ込んで「凍」を読んでいた。チベット・ギャチュンカン、壮絶な下降。

9月21日 晴
マナスルBC
天気予報に反して、今朝も良いお天気。シェルパはC2へ荷上げに。天気が良いんで、洗濯をする。大岩の上に座りマナスルを眺める、早く登りたい。明日の昼、日本人会をやることになり、午後マリンちゃんを誘いにセブンサミッツ隊のBCに行く。意外と遠い(笑)夕方には木賊さんとバトミントンをする。既にチャンを飲んでいてホロ酔いの中…ラケットが壊れる(笑)インド製でちゃっちすぎると割り切る。夜は「凍」を読みきる。6年ぶりに読んだがいやはやその生命力…ギャチュンカン北壁をこの目で眺めてみたくなった。今回、もし予定通りにチョーオユーだったならば、山麓からギャチュンカンのチベット側を遠望できたんだろうなと、少し残念に思う自分がいた。明日明後日は本格的な悪天候予報で、翌24日25日でセブンサミッツ隊がC3~C4間のルート工作をするとか。しかしながら当たらない天気予報。。各隊いずれも振り回されている。さてどうだろうか。

9月22日 曇時々晴
マナスルBC
悪天予報はどこへやら。今朝も青空が見える。午前中はペンバに日本の山(剱岳や朝日岳)の写真やネパールヒマラヤのガイドブックを見せる。20年前のガイドブックにもかかわらず、ゴーキョの写真に写っていたシェルパニは知っているとか(笑)昼はマリンちゃんとセブンサミッツ隊のサーダー・ダワシェルパ、Himexの田村さんが遊びにきて、昼食をともにする。マリンちゃんには良い気分転換になっただろうか。ダワシェルパは8000m峰14座に登頂しており、エベレストも1度は無酸素で登ったと言っていた。ダワと田村さんは今夏のK2で一緒だったらしい。楽しいひと時を過ごし、午後はまったりしていると各隊のガイドやサーダー(シェルパ頭)がHimexのテントに集まり出してなにやら物々しい雰囲気に。なんでも天気予報が劇的に変わり、26日が登頂日和になりそうだとか。急遽明日出発になる。そして26日に登頂するためにはBC→C2、C1→C3といずれかでキャンプ飛ばしをする必要があるが、僕は初日のBC→C2を選択する。Himexチームも同じ行程で明日C2入りするようだ。C3~C4間のフィックス工作はHimex、アルティテュードジャンキー、K&P、アドベンチャーコンサルタンツ、そして自分達のチームからそれぞれシェルパを出して、明日C3泊の明後日一気にルート工作する事になったという。それにしてもの急展開である。高所登山は天気が第一だが、29日頃が登頂とゆっくり構えていたらこの急展開である。しかしながら、セブンサミッツ隊のルート工作をいつまでも待っていたら、チャンスが無くなってしまう可能性がある。これも運命。午後は出発準備をし、明日に備える。いよいよ明日出発である。Himexチームも明日C2に入るようで、出発はなんと早朝3時。それに自分も合わせることになり、明朝は2時半には起床。明日はのんびりのんびりC2を目指したい。いよいよ明日から憧れの8000m峰の頂を目指す旅の最終章が始まる。寝る前に「植村直己・青春に山を賭けて」を読み始めた。偉大なる冒険家のように、自分なりの挑戦をしなければ人生は進まない。
憧れの8000m峰への挑戦No5〜マナスル(8163m)〜
9月23日 晴
マナスルBC550→1425マナスルC2
2時半に起きるも誰も起きてなく(笑)、ふたたび寝る。4時45分にHimexチームが起き出したなと思ったらペンバに起こされ4時50分に起床。朝食にネパールラーメンを食べ、祭壇に背後のマナスルに米を投げ、いざ出発。朝焼けのマナスルが素晴らしい。クランポンポイントまではアプローチシューズで、高所登山靴は担いでいく。クランポンポイントでHimexチームに追いつき、田村さんに挨拶する。靴をのんびり履き、アイゼンを装着し、ハーネスを履き、氷河をのんびり行く。Himexやアルティテュードジャンキー、各隊の中を前後して1人行く。他のメンバーは今日はC1泊で、明日C3まで来る予定。青空が広がり灼熱の中をビスターリビスターリで歩き、C1を過ぎ急な雪壁へ。田村さんやパウロらHimexチームと前後して。急な長い雪壁では前の2人(ジャンキーの)が遅く、渋滞が起こり、スノーシャワーを派手に浴びてしまう。2人を抜き、クレバスをアルミ梯子で渡った先でさらに2人とシェルパ1人を抜き、苦しい中を登って行く。最後の雪壁の所でAC隊のサーダー・ダワザンブーシェルパとすれ違う。今日はC3を作ってきたらしい。C2に到着すると、ペンバ達はいなかったのでひたすら水を作り、お湯を沸かし、スープやらにゅうめんを飲み食いする。景色が素晴らしい。夕方5時頃にC3まで荷上げに行っていたペンバ達3人が帰ってきた。夕焼けのマナスルが神々しく、しばし見とれている。明日はC3(6800m)へ。ペンバが言うには2時間半~3時間もあれば着くだろうとか。ペンバらシェルパ3人はここC2(約6300m)からなんとC4(7400m)まで荷上げに行き、C3に戻って来ると言う。ヤバすぎる。
自分は昼頃着を目指してゆっくりゆっくり行きたいと思う。デポしておいた寝袋は頑張って自分で上げようかなと思ったりする。

9月24日 晴
マナスルC2・730→1020マナスルC3
C2での3回目の夜もほとんど眠れなかった。1~2時間おきに目が覚めてしまう。頭が痛いとかは全くなく、前回みたいな息苦しさも無い、にもかかわらず長い夜。気持ちが高揚しているのだろうか。起きてはミルクティーを飲んだりしたが、3時20分頃からは音楽を聴き始める。「カーペンター」をチョイス。静寂の標高6300m、Vol.2で聴く(笑)その後「90年代ベスト」を聴きながらまどろんでいると夜が明けてくる。美しい朝焼け。巨大な荷物を担ぎ今日はC4に荷上げするといううちのシェルパは見送り、C2にいたグループの最後尾でC3向けて登り始める。初めての道、外国人を抜かし、シェルパに抜かれ2時間50分でC3に到着。荷物も多かったが、良いペースで登ることが出来た。テントの背後にはマナスル北峰のヒマラヤ襞が超迫力。ネパール製のつかないライターに悪戦苦闘しながらもなんとか火をつけ水を作り、シュラフをテントの上に干し、時にC4へのルート工作隊の様子をじっと眺め・・・まったりと時間を過ごす。テントの中にいると例の横浜のKさんの声が聞こえ外に出ると、遠くには泉さんと木賊さんの姿が。2人がやってきてしばらくすると平岡さんも上がってくるが、藤井さんは残念ながらC2に下りてしまったようだ。
ルート工作隊はかなり上、C4に向けてのトラバースまで進んでいたが・・・、なんとシェルパが雪崩に流されクレバスに落ち、怪我をしたようだ(Himexのナムゲル、アマダブラムで一緒だった)。。急遽ルート工作は中止、Himexのシェルパはひとまず全員BCに下りてしまったらしい。。まさに暗雲。今日明日でのC4までのルート工作は絶望的だ。それを聞いた時の自分の気持ちやらなんとやら。ここでもし下山となれば非常に厳しい。憧れの8000m峰、最後まで諦めわけにはいかないが、精神的に厳しい。テントでは泉さんとアマダブラムの時の話をする。。とにかく全力を尽くした山登りがしたい。あの時のような悔しさをまた味わいたくわないのだ。マナスルという大きな大きな山の中腹で、人間は小さい。

9月25日 晴
マナスルC3→マナスルBC
予報通りの快晴。C3での夜はほとんど眠れなかった。特に不調な事は無いのだけど、目が冴え朝までが長かった。再帰を期して、C3からBCへ下山。C3やC1にデポをする。BCでマリンちゃんと出会い、少し話をする。彼女のチームは29日に登頂予定。もはや空気の濃すぎる標高4700mのBC、特大コロッケの昼食を食べ、夕食前まで爆睡する。セブンサミッツのサーダー・ダワシェルパら数人が来て、Himexやアルティテュードジャンキーらのボス&シェルパと今後について話をしていたらしいが、深い眠りの中で全く騒ぎには気がつかなかった。セブンサミッツ隊が28日にC3~C4間のルート工作をし、29日に登頂予定との事。誰でも良いから、マナスル頂上までルート工作してくれ(笑)
C3で話を聞いた時は絶望感が漂ったが、まだ希望があるようだ。自分の体調は万全。サミットプッシュのチャンスを待ちたい。
★C3にデポした物
・シュラフ
・ダウンオーバーパンツ(ME・黒)
・オレンジ袋(登頂用新品靴下&ウール手袋、ORダウンミトン)
・ダウンブーツ(ME・黒)
・サミット用衣服(パタ・グレー全身タイツ、メリノウール上着・グレー、ME上着・青、マムート・タイツ[小屋番Tに戴いた物])
・食料全般(3泊分・うどん、そば、スープ、アミノ酸、ジェル…etc)
・ウレタンマット(銀黄)
★C1にデポした物
・ダウンジャケット(ME・赤、登頂用)
・ダウンシューズ(ME)
・酸素マスク
・食料、行動食少々
憧れの8000m峰への挑戦No6〜マナスル(8163m)〜

9月26日 晴
マナスルBC
朝までぐっすり快眠。やはり空気が濃いのは偉大。とはいえここも標高4700mもあり、富士山より1000mも高いのだけど(笑)本来なら登頂予定日だった26日、マナスルをじっと見上げる。チャンスはまだある。まだあるんだ。
藤井さんが下山することになった。昼にヘリコプターが来て、ルート工作中に怪我をしたHimexのナムゲルシェルパとともにカトマンズへ帰って行った。夜はそのヘリコプターが運んできた初めて見るビールを飲む。美味かった。登頂後に心おきなく飲みたいものである。夜はHimexのシェルパが飲みに来てキッチンは超満員だった。やたらと盛り上がっていて、見ていて楽しかった。

9月27日 晴
マナスルBC
快晴だが、今日の山上は風が強そうだ。アルティテュードジャンキー隊は下山することになったという。ルート工作に参入するためAC隊のシェルパが上がっていく。午前中は「植村直己・青春を山に賭けて」を外で椅子に座わりながら読んだり、テントの中で寝転びながら読んだり…この本を読むのはアラスカ・デナリ以来である。あの時は6168mの頂にこの本を持参した。デナリ(マッキンリー)を知ったのはこの本であったからだ。デナリ、偉大なる山。
昼食に日本のカレーライスをたらふく食べ、午後はテントで本を読みまったり。明日、出発になった。泣いても笑ってもこれが最後のサミットプッシュになる。28日・C1、29日・C3、30日・C4、そして10月1日に登頂予定である。下山予定は10月2日。地力を尽くして頑張りたい。未だ見ぬ7000m以上の世界、そして8000mの異界を味わいたい。シェルパによるルート工作が完了し、お天気様が味方することを祈るばかりだ。7年越しの俺の夢!
夜、Himex隊が今回のマナスル登山を断念することになったと平岡さんから聞く。シェルパに怪我人が出たことも大きいかもしれない。ルート工作の頼みの綱はセブンサミッツ隊とアドベンチャーコンサルタンツ隊のシェルパ達となった。結果はどうあれ、標高7300m付近のフィックス終了点までは行きたい。この目で現場を見たい。明日明後日でその先にルート工作が進めばなお良いが。状況は極めて厳しい。ヒマラヤは本当に厳しく、気高い。

9月28日 雪のち曇時々晴
マナスルBC1210→マナスルC1
朝、テントから顔を出すと一面真っ白。まさかの雪景色にあっけにとられる。ひとまず朝の出発は無くなる。テントで「青春を山に賭けて」の南米・アコンカグア編を読む。登山許可を得るにもメンドーサで1日で取れてしまう今この時代とは比べ物にならない大変さに思わず笑ってしまう。8時くらいになると雪も止んできて青空が見える。平岡さんと木賊さんは10時頃に出発して行ったが、僕は早くC1に到着しても暇なんでお昼出発とする。泉さんは登山を終了するという。周りの大きな登山隊が終了しているから無理も無いかもしれない。セブンサミッツ隊がルート工作するかもしれないという僅かな可能性にかけ、自分は再び頂を目指して出発。同時にもしルート工作が出来ず登頂断念という事になっても、C3(6800m)にデポしてある自分の荷物を回収する、そして可能ならば自身初の7000mを超えない7300m付近のルート工作終了点を自分の目で見たい、そんな気持ちがあった。昼食にダルバートを食べ、荷下げから帰ってきたHimexのガイド・田村さんに挨拶をし、既に赤ワインを飲んでなにやらクレイジーな事を言ってる泉さんやシェルパらに見送られ12時10分にBCを出発。5回目のC1への道、全く新鮮味も無く、登頂の可能性も極めて低い、この条件下では気持ちも入らずペースも上がらない。途中、荷下げで上のキャンプに行っていたHimexのメンバーやシェルパと次々とすれ違う。氷河をしばらく歩くとアドベンチャーコンサルタンツ(AC)のメンバーとガイドも下山してくる。AC隊も登山終了のようだ。。氷河の真ん中でザックに腰を下ろし雲間から見え始めたマナスルを眺めながら、なんだか絶望的な気分になってしまう。アマダブラムに続き、ヒマラヤでは運が無いのかなあ、とかぼんやり思ってしまう。見上げる山の上は風がとても強そうだ。頂上稜線の雪煙が凄まじい。見慣れた風景の中を淡々と歩くことちょうど4時間。静かなC1に到着し、平岡さんらに迎えられる。今日のテントは平岡さんと同宿。明日はC3へ行く予定。身体も気持ちも重いが頑張って登ろうと思う。
憧れの8000m峰への挑戦No7〜マナスル(8163m)〜
9月29日 晴
マナスルC1→マナスルC3
快晴の朝を迎える。朝焼けの山々が美しい。6時20分頃くらいにC1を出発。Himexのシェルパが荷下げで上がってくる。すごいスピードだ。これで4度目になる雪壁を無理矢理に乗り越えC2へ。晴れるのは良いけど、とにかく暑い。Himexのシェルパらと挨拶を交わしながら、最後は飯バテになりながらC2に到着。遅れている木賊さんを待ちがてら、あれやこれや食べる。見上げるとC3~C4間のルート工作は進んでいるみたいだ。C2でしばし休憩しC3へ。何度も往復しているからか、身体全体がなんだか重く、水を飲みながらマイペースに行く。途中でマリンちゃんに追いつく。C2で停滞していたらしい。しばし話すが、サミットプッシュは同じ日のようだ。また明日会うだろう。C3に到着すると横浜のKさんがいて、少し話をする。平岡さんとはなにやら一悶着。。山にはいろいろな人がいるものだ。明日はいよいよC4入りである。一時は登頂断念かと思ったが、希望は繋がった。初めての7000m超えである。7400mのファイナルキャンプまでビスターリビスターリで歩きたいと思う。もっとも無酸素なので、ゆっくり歩くしかないのだけど。今夜はニマヌルシェルパとテントを同宿。酸素は使わない。長い夜になるだろう。
Himex、シェルパ
・オレンジスニーカーでこんにちはと言ってくる彼の名前はヌルブ、ポルツェ
・ターバンを巻いているような若い彼はギャルツェンドルジ、平岡さんと2011年のエベレストで一緒だったらしい。
・Himexのサーダーはロプサン、クムジュン

9月30日 晴
マナスルC3(6800m)715→1300マナスルC4(7400m)
標高6800mでの夜はやはり長かったが、前回よりはマシだったと思う。18時には寝袋に潜りこんでしまったため、長い夜になる。深夜2時半頃からは前回のC3同様音楽を聴く。「中島みゆき」の代表曲メドレーに始まり、続けて「長渕剛」を聴いていると5時になる。特に中島みゆきの「ヘッドテールライト」はなんだか染みた、ここは標高6800mのテントの中。その後は「オンマニペメホン」を聴いている。そういえば27日にBCに再登場したサマ村のお坊さんはお経を唱えてくれているのだろうか。今日はいよいよC4・7400mのファイナルキャンプ入りである。天気は快晴。準備が出来たので先に出発。昨夜から木賊さんとガイドの平岡さんは酸素を吸っているが、僕は無酸素でC4を目指す。上のC3をジクザグに歩き抜け、見上げる大斜面には行列が。。セブンサミッツ隊の中国大軍団が出発して取り付いていた。彼らは酸素を吸っているにもかかわらず、メチャメチャに歩くのが遅い。しばしの間お付き合いするが、シェルパも自分もしびれをきれして抜かす。前後して歩いていた欧米人やシェルパと相前後してたたひたすら上へ。標高7000mを越え、酸素が希薄なのを感じながら時に写真を撮り前へ前へ。ちょうど13時にC4に到着した。ここに来て初めてマナスルの頂が姿を現わす。近くに見えてまだまだ遙かに遠いはず。テントでシェルパが持ってきてくれた雪を使い1人水作りをしながら腹ごしらえをし、到着された別グループの横浜・Kさんと話をしたりしてのんびりする。15時頃に平岡さんらが到着。今日は3人でテント一張なため、既に寝床を整理したテントを一旦明け渡す。荷物を広げられるだろうからテントの中にいれないので、しばし時間つぶしで裏の小山に登る。ここは展望抜群で、C4のテント村の向こうにはマナスルの頂やピナクルが。遙か眼下にはBCやサマ村が。今朝出発してきたC3もすごい高度感で真下に。マナスル北峰やネムジュンなどチュオヒマールの山々もすっかり見下ろし、アンナプルナ連峰やダウラギリもよく望めた。アンナプルナⅡ峰が鋭く、その左肩にはマチャプチャレの頂が。ダウラギリⅠ峰は大きかった。希薄な空気の中、展望を満喫していると、サーダーのペンバも上がってきて写真を撮り合う。テントに戻ってからはなぜか先程ビュースポットにいる時に下から呼ばれたマリンちゃんをテントに訪ねる。大男2人とシェルパの計4人で賑やかだった。しばし話をし自分のテントに帰り就寝??平岡さんと木賊さんは睡眠用酸素を吸っているので寝息を立てている。酸素のシューという音もなんだか煩わしい。寝る方向の事とか些細なことが気になる。息苦しくてこちらは全く寝れないので、日記を書いたり音楽聴いたり。明日は2時出発予定だが、この分だともっと早く飛び出すかも。8163mの頂を目指し、無酸素でスタートする予定!

10月1日 晴
マナスルC4・210→マナスル(8163m)→1430マナスルC2
7400mという低酸素、1張3人という人数か、アタック前日の気持ちの高ぶりか、全く寝ることは出来なかった。息苦しい自分をよそに、酸素を吸っている横のお2人は爆睡。。なんだかなあ。。(笑)23時半頃にはセブンサミッツ隊の中国チームが早くも頂上目指して出発。騒がしいことこの上ないのだが、酸素の効果は絶大なのか2人は寝息を立てている。。こちらはいてもたってもいられず0時を過ぎた頃から飯を食べ、サミットプッシュの準備を始める。外に出て自分自身は準備を完了するが、20~30分だろうかしばしの待ち。結局2時10分頃に全員一緒に出発。4Lもの酸素を吸って歩く木賊さんや平岡さんはペンバらとスタートからグワーと行ってしまった。自分にはニマヌルとニマカンチェが前後に付いてくれるが、プレッシャーが凄い(笑)少しペースを乱されたかもしれない。前を意識する2人に「こっちは無酸素だからゆっくり行くぞ」と声をかける。出だしが完全なるマイペースであればその後の展開がまた少し違っていたかもしれない。そして待っていないで、自分だけ先に歩き始めれば良かったかなとも思う。チームでは自分だけ無酸素だし。
満天の星空の下、ただひたすら目の前のトレースを辿る。広大なプラトー、急斜面の雪壁の登りを2度3度と交互に繰り返すと、夜が明けてくる。息が上がり、苦しすぎる登りであったが、紫がかった夜明けの空は心に残るものだった。写真を撮る余裕が全く無かったのが今思えば残念だ。数歩歩いては立ち止まり喘ぐ呼吸を整える、そんなことをひたすら繰り返す。標高7900m付近だろうか、左手に見えるピナクルが同じ高さになった頃、息苦しさは一段と増し、視界に違和感を感じはじめた。少しの間歩いてみるが、(特に左目が)ボヤけ始めてきたので、これは低酸素の影響かなと、これから頂上までの事、その先の下りの事、立ち止まりしばしその場で考え・・・自分自身で酸素を吸う事を決断する。もちろん無酸素登頂に対する未練はあった。しかしながら、自分の今までの登山経験で7000m以上を経験するのはこれが初めて。ましてや8000mの世界は未知すぎる。どうなってしまうかわからない恐怖が少なからずあったと思う。後ろにいたニマカンチャに酸素を吸う旨を伝え、背負っていたレギュレータと酸素マスクを取り出しニマカンチャに手渡す。彼が持っていた自分用の酸素ボンベにレギュレータをセットする間、周りの景色を眺める。美しい朝焼けが始まっていた。ザックの中からカメラを取り出し、シャッターを切る。5時59分、この日初めての写真は目の前のマナスル頂上への道。続けて、朝焼けの山々を撮影した。8000mでの朝焼け、それは息を飲む美しさだった。いつまでも忘れることはないだろう。
ニマカンチャがセットしてくれた酸素ボンベを背負い酸素を吸う。すると、先ほどまで数歩歩き続けるのが困難だったのが、ゆっくりではあるが普通に歩ける。世界が変わってしまった。全くその違いに驚く。数ピッチのフィックスロープを登り、先ほど酸素を装着していた場所から見上げていた1番上まで登ると真の頂が姿を現した。先行の登山者の頂上順番待ちが見える。喘ぐ息を休めるために腰を下ろしていると、登頂した平岡さん、木賊さん、シェルパ達が下山してくる。酸素を吸っているからか皆余裕がある。かたや全力を尽くしていた自分は3リットル出してもらった酸素を吸い始めても、その疲労を隠せない。ニマヌルと8163mの頂上へ。頂上直下の広場にザックと酸素ボンベをデポし、順番待ちの列へ。他の登山者は家族の写真やら様々な物を取り出し、結構な時間待たされたが、日陰で寒かった。自分よりシェルパの方が苛立っていた。自分の番になり頂へよじ登る。酸素マスクを外しているからその短い登りでさえ息が上がる。
狭い山頂からの景色は素晴らしかった。最高点は雪庇になっていて触れることは出来ないが、その雪庇の向こうにP29であろう高峰が望めた。見下ろすピナクルの遙か眼下にはサマの村も。デジタル一眼レフカメラとコンデジで写真を撮影し、次の登山者のために山頂を後にする。もっとゆっくりしたかったが仕方ない。今日が今シーズンのマナスルの頂で最初で最後の賑わう日だろう。
酸素マスクを装着し、頂をバックに記念撮影をしてから下り始める。慎重に歩を進めるとフィックスロープの中間点でマリンちゃん一行と出会う。彼女に写真を撮りましょうよと言われ、アンナプルナ&ダウラギリ山塊をバックに彼女のシェルパ・ザンブーに撮影してもらう。標高8000mを超えた場所での良い思い出になった。彼女とはまた日本の山で会えればと思う。エベレスト、登頂して無事に帰ってきてほしい。応援してるよ。
マリンちゃん一行と別れ、淡々と雪の斜面を下る。下りは登りに比べて息苦しさは無いが、急斜面では滑落しないように慎重に。C4では平岡さんやシェルパに迎えられる。快晴無風の素晴らしいお天気だ。驚くべきことに、目の前にシェルパビールが登場。聞けば宣伝用に撮影を頼まれて上げてきたのだと。今回初めて見たシェルパビール、まさかの7400mに登場。ほんの一口だけ飲んでやめといた。。(笑)一足先に下山する平岡さんらを見送り、荷物のパッキングをする。シェルパにこの先も酸素を吸いますか?と聞かれるが、下りだし断る。パッキングし歩き始めるが、まー息苦しいこと。7400mのC4から亀のように下る。セーフティの架け替えの場所で、度々立ち止まり喘ぐ呼吸を整え・・・C3が見えてからの大斜面の下りも苦しかった。身体、特に心肺は8000m付近の低酸素にオーバーヒート状態になってしまったようだ。なんとかC3に到着すると、目の前にコーラが!今までで1番美味いコーラだったかもしれない。さらにこの日はC2まで。満タンのザックを背負うも、暑くて苦しかった。
初めての8000mの世界。夢の中を歩いているような、精魂尽くした1日であった。8000m峰の無酸素登頂はいつかまた挑戦したい。

10月2日 晴
マナスルC2・→マナスルBC
今日は待望のBCへ。お2人に先行して下る。最初の頃に比べて、クレバスがかなり開いていて怖かった。途中でC2の荷下げに上がってきた、ニマカンチェとペンバヌルとすれ違う。C1でニマヌルにジュースを頂きBCへ。C1~クランポンポイント間の氷河もクレバスがズタズタで、スノーバーも抜け危険な状態。クランポンポイントで今度はジバンが待っていた。ジュースを飲んで、最後の下り。BCを俯瞰するとHimexなど大手が帰ってしまったので、物寂しい雰囲気。サーダーのペンバとシェフのドゥルガに迎えられる。終わった。ようやく終わった。豚カツ定食でお腹ペコペコを解消し、午後は爆睡する。
憧れの8000m峰への挑戦No8〜マナスル(8163m)〜
10月3日 晴
マナスルBC
5時半頃に目が覚め、テントから顔を出すと天気が良かったので、朝焼けの山を見に丘の上へ行く。マナスル(ピナクル)は真っ赤に焼け、しばし見惚れていた。あの高みに自分はいたのだなあと。マナスルを眺めながら中島みゆきの曲を聴いているとなんだか泣けてくる。旅は終わらない。昼はもっぱら帰る準備。その後は「青春を山に賭けて」を読んでいる。
今回マナスルで自分が使用した酸素は1本。酸素ボンベ未使用3本を来春のエベレストを予定されている木賊さんに10万円で譲渡する。(酸素ボンベ1本=約400ドル相当)

10月4日 雪のち晴
マナスルBC→サマ村
夜中から降り始めた雪はしんしんと降り続き・・・朝テントから顔を出すと降りしきる雪でBCは真っ白。撤収作業は順調に進むも、予約が上手くいっていなかったようで、肝心のポーターが集まらずに時間だけが経ち、自分達だけ先に下山。サマへの道中は、山肌の紅葉に季節が進んだことを実感。歩きながら考えていたのは無酸素登頂のこと、そして酸素を吸った時のこと。もう少し自分のペースで上手くやれたら頂上に届いたかなとか、しかしながら一歩間違えたらあの世行きだよなとか・・・。C4出発時までどのシェルパと一緒になるかは把握していなかったので、そこを把握して打ち合わせておけば良かったかなとか、日本語を話せるペンバならもっと細かいコミュニケーションがサミットプッシュ時にとれたかなとか、いろいろな事を考えている自分がいた。それもこれもトライして登頂できたから。あのままC4に到達できずに終えてたら、虚しさを覚えていたに違いない。マナスルに2度目は無いだろう。一般人にはそうトライできるものではない。明日はいよいよカトマンズ。

10月5日 晴
サマ村→カトマンズ
外は晴れているが、マナスルは雲に隠れ見えない。朝食の後、テラスでシェルパやキッチンスタッフにチップを渡すセレモニーを行う。ニマヌルとニマカンチャはBCの後片付けのため不在なのが残念だ。アマダブラムの時と比べ、シェルパが少ないのであっという間に終了。その後ヘリポートへ。長閑なサマ村を眺めながら、何十年後とかに再訪したらどのように変わっているのかなとぼんやり眺める。そのうちにヘリがやって来て、ここでお別れとなるシェルパ達と握手をして機上の人になる。ヘリコプターからはスリンギヒマールやガネッシュヒマール、ランタンヒマールが見事だった。特にガネッシュⅡ峰とランタンリルンが印象的だった。蒸し暑いカトマンズにわずか1時間あまりで到着。エージェントの社長・タムディンに迎えられる。ホテルは再びヤク&イェティ。祝勝会をしたりで、あっと言うに時間は過ぎて行った。あのダンスショーは無いだろう(笑)

9月6日 晴
カトマンズ出発
9月7日 晴
日本帰国

無酸素登頂にトライして良かった。
憧れの8000m峰への挑戦No9〜装備編〜
・サミットプッシュ時
スマートウールアンダーシャツ
ME・アンダーシャツ
パタゴニア上下つなぎ
マムート・フーディ付
パタゴニア・目出帽
ダウンジャケット(赤)

下着
マムートタイツ
ズボン・マーモット
ダウンジャケット(黒)
マナスル遠征を終えて
長い年月、紆余曲折しながら、想い続けてきたヒマラヤ8000m峰挑戦。憧れを想い続け実現することは簡単なことではないと思う。発言をするのは簡単、でもそれを想い続け実現することは僕にとっては困難だった。でも挑戦して今は本当に良かったと思う。大金がかかるけれども、それはその人の価値がある。ヒマラヤの高峰に挑戦することは、お金では表せないものがある。何にお金を使うかはその人の価値観による。8000mに対する思いが屋久島から帰ってきた直後のちょうど1年前の日記にも記されていた。自分自身の核心を突く文章、読んでいたら涙が出そうになる。そしてそのままマナスルの山中で書き続けた手記をまとめた。自分自身にとってこれらの文章は価値がある。残さなければいけない。もちろん撮影したヒマラヤの美しい写真も。紙にプリントするべく写真を選びながら、次なる進む道を見据える。幸せな時間であり、振り返る良い時間だ。一眼レフカメラの写真は見事です。特に8000mの世界の写真は。でもふたたびあの世界に挑戦する時があればファイナルキャンプに一眼レフカメラを置いて行くかもしれない。本気で無酸素登頂を狙うならば。僕がもし写真家ならば一眼レフカメラを必ず持っていくでしょうが、単なるいち登山愛好家ですので。
マナスル遠征で気になったこと

・ハーネス
高所登山に対してはオーバースペック。もう少し軽いものが良いかもしれない。8000m付近ゆえに。
・カメラ
今回は頂上トライにはCanonの一眼レフカメラとNikonのコンデジ、そしてiPhoneを持参した。8000m級の無酸素登頂を狙うにはコンデジだけで良いかもしれない。オーバーダウンに隠しておけば、固まることもないかなと。一眼レフカメラは素晴らしい写真を撮影でき、自分のカメラは一眼レフにしては軽い部類に入ると思うが、やはり無酸素登頂を本気で狙うなら削るべきかもしれない。コンデジでもそれなりに綺麗な写真は撮れる。ちなみにiPhoneは低温でうまく作動せず。
・サングラス
メインで新規購入のアディダス・a394(紫外線透過率0%、可視光線透過率17%)を使用。長期のヒマラヤ登山、それも超高所な8000m登山では負荷がかかったかなと思う。1桁以下の可視光線透過率のものが良いかなとは思った。
・アミノ酸、エナジージェル、羊羹は有効だった。いつも冬山で愛用しているレモンティー(メイトー)を持参すれば良かったかも。
・頂上トライ時の服装
[上]
メリノウールの下着
MEのインナーシャツ(青緑)
Patagoniaのつなぎインナー
マムートのフーディ(青)
Patagoniaの目出帽
→ほぼ新品きつくて外す。
予備のヘリテイジの方が良かったと思う。
MEのオーバーダウン(赤)
[下]
マムートの新品タイツ
Patagoniaのつなぎインナー
MEのオーバーダウンパンツ
・手袋
→新品のウール+ヘリテイジのオーバーミトンを使用。途中から暑くて普通のヘリテイジのオーバー手袋を使用。緊急用のORミトンは使わず。
・マナスルで読んだ本
神々の山嶺(上下)
凍(沢木耕太郎)
登頂竹内洋岳
現代ヒマラヤ登攀史(池田常道)
青春を山に賭けて(植村直己)
・DVDプレイヤーがあれば良いかも。気分転換。
アイスキャンディ

1月31日
春夏秋は槍ヶ岳にいる冬季スタッフ2人とアイスキャンディで遊びました。昨日の降雪で山は真っ白。入山して2週間、忙しい日々が続いていましたがようやくのんびりと登ることができました。昨冬は1度しかやらなかったアイスクライミング。数本登り腕はパンプしましたが、真っ青な空の下楽しめました。



遊んだ後はアイスキャンディのメンテナンス作業のお手伝い。見上げると山が夕暮れに染まっていました。大同心、小同心が美しかったです。