[10月28日]
アイランドピークBC(5000m)⇒アイランドピーク(6189m)⇒アイランドピークBC⇒チュクン(4730m)
アイランドピークの頂上では素晴らしいすぎる大パノラマを満喫できた。
頂上は狭く、真ん中の支店を中心に、他の登山者とぐるぐる場所を変えながら、
写真を撮りあったりした。
頂上ではオランダ人やスウェ-デン人と登頂を喜び合う。
皆、笑顔だ!
国籍は関係ない。
「コングラチュレーション」というと、「ありがとうございます~」と日本語で返ってきた。
頂上には40分も滞在してた。
至福の時間とはまさにこのこと。微風快晴の好天に感謝である。
6189mの頂からも遥か高くヒマラヤは聳えている。
この圧倒的なスケールには惹きつけられる不思議なものがある・・・。
なんなのでしょうか。とにかくやられてばかり。
頂上からは慎重にリッジを下り、雪壁の降下ポイントへ。
コルから先、稜線はアイランドピーク西峰へと続いている。
ヒマラヤ屈指の難峰・マカルー、憧れの高峰である。
懸垂下降で慎重に雪壁を下降。
途中の支点で待機しているところに登ってきたアメリカ人に声を掛けたら、日本にアイスクライミングに行ったよと言っていた。
マカルーを眺めながら、来た道を戻る。
慎重に下り、5800mのフィックスポイントまで戻ってきた。
雪は終わり、ひとまず一安心だ。
しかし、ベースキャンプまではまだまだ遠い。
イムジャレイクは遥か眼下。
がらがらの岩場を下降。
5600m付近にはテント村ができていた。
ここは通称・ハイキャンプ(アタックキャンプ)。
ほとんどのグループはここに1泊して、翌早朝にアタックするらしい。
左にはチョーポウが素晴らしい。
煙たなびくマカルー(右上)とは間もなくお別れだ。
真っ暗闇の中、こんなところを登ってきたのか・・と思いながら、ジグザグにひたすら下った。
たくさんの欧米人が登ってくる。
所々ではガイドの仲間のシェルパとすれ違う。
シェルパは顔見知りが多い。
そして彼らは皆僕の方を見て苦笑い。
何を談笑しているかは解らないけど、どうせ「よく似ているな~」とでも言っているんだろう(笑)
急斜面の取り付きまで下り振り返れば、チョーポウ(左奥)も高くなった。
平らな道をのんびり歩いていくとテント村が見えてきた。
アイランドピークBCである。
ここで、シンガポール人グループと出会う。
みんな自分の登頂を祝ってくれ、とても嬉しい気持ちになった。
グループの中には看護師の人もいて、デボチェでは同行の友人の患部の消毒をしてくれもした。
とても良い人々達だった。彼らの登頂を願いたい。
今日はハイキャンプに上がり、明日アタックするというシンガポールグループを見送り、
ベースキャンプをぶらぶらしていると日本人の中高年グループと出会う。
おもむろに箸が視界に入って、それと分かった。
話を聞けば順応のためBCに二泊したのち、ハイキャンプに上がり、アタックのちハイキャンプにもう一泊したのちチュクンへ下りるという。
自分の行程を聞かれたので、言ってみるとたまげていた様子。
そして一言・・・「若いわね~」と返ってきた(苦笑)
エージェントはDBさんが以前働いていた日本人社長経営の大手C社で、食べ物も日本仕様。
中高年の方には日々ダルバートなどの現地食はきついものがあるのだろう。
それは仕方がないことだ。
そしてBCには「コンマ」という太った鳥もいた。
雷鳥みたいで、なかなかにかわいい。
体力的にも時間的にも余裕があるので、BCでテントを撤収しチュクンへ下りることにした。
途中、二転三転と意見を変えるガイドと一悶着あったのだが、
結局はチュクンに泊まることに。
そして、僕はポーターハウスに泊まった。
初めてのポーターハウス泊まり。
これも直さんの影響だろう。直さんに出会っていなければ、泊まることはなかったはずだ・・・(笑)
登頂をドルジェさん夫婦に祝福され、ポーター達と楽しく過ごす。
ロッジに泊まっている他のグループのガイドも、酒を飲みにやってくる。
そして勧められるがままに、チャン(米のどぶろく)をご馳走になった。
標高4700mで飲む酒、今までで最高所での飲酒だろう。
高所のため心配もあったが、アイランドピークも無事登頂できたし、
なによりもその雰囲気に負ける(笑)
楽しい一夜でありました。
初めての6000m峰である、ネパール・アイランドピーク(6189m)。
しっかりと高所順応することができ、余裕をもって順調に登ることができた。
最高に充実した一日でありました。
[参考]
アイランドピークBC(約5000m)210
540 5800m(休憩・クランポン装着)615
655 雪壁取り付き(5900m)
810 雪壁上 820?
825アイランドピーク(6189m)905
雪壁上 930
1000 雪壁取り付き
5800m(クランポン脱着)1040
取り付き 1150
1220 アイランドピークBC 1330頃
1530頃 チュクン
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[10月28日]
アイランドピークBC(5000m)⇒アイランドピーク(6189m)⇒アイランドピークBC⇒チュクン(4730m)
夜はあまり眠れなかった。寒さと緊張のためだろうか。
シュラフは3シーズン用なのである程度寒いのは仕方ない。
今回は軽さとコンパクトサを重視して3シーズン用を選択。
長いトレッキング、登攀用の道具以外は自分で背負っている。
お金を出してポーターに預ければ空身同然であるけるが、そんなのは年をとった時で良い。
ヒマラヤとは長い付き合いになりそうだし、なによりも充実感が違うと思う。
真夜中の1時に起床、ラーメンとスープの軽い食事をとる。
テントから顔を出せば、まさに満天の星空。
ギラギラと光輝き、目が回りそうだ。
とにかく星空が近い。この距離感は日本では味わえない。
出発は午前2時。
ヘッドランプの明かりを頼りに歩いていくと、やがて斜面に取り付く。
雪はない。暗闇の中、黙々とジグザグに登って行く。
ビスターリ・ビスターリ・・・
しばらくして前後して歩いていたオランダ人グループのうちの一人が頭痛を訴え下っていった。
幸い自分のコンディションは良い。チュクンリの高度順応の効果だろう。
どれくらい歩いたのだろうか。
やがて夜が明けてきた。ヒマラヤの峰々が徐々に浮かび上がってくる。
岩尾根が終わり、簡単なフィクスポイントを前に、しばし休憩。
標高は5800m。ミルクティーが美味しい。
見上げれば険しい懸垂氷河。
やがて周りの山々が朝焼けに染まってきた。
5800mで迎えた夜明け。心に残る瞬間だ。
モルゲンロートに輝くアマダブラム(6814m)。
周りにはフランス人やオランダ人。
自分以外ははいずれも欧米人かネパール人だ。
BCからは見上げていたバルンツェ(7152m)の見え方が変わってきたことに登ってきたことを実感する。
簡単な岩尾根のフィックスポイントを超えれば、クランポン(アイゼン)装着ポイント。
標高5800m。
驚くべきことにここまでほとんど雪が無かった。
ここまで登ってくると、稜線の上にはマカルー(中央奥)の姿も。
左の山はチョーポウ。なんだか「おにぎり」みたい。
シェルパとザイルを繋ぎ、クレバスを迂回しながら登れば頂上直下のプラトー(雪原)に出る。
頂上稜線からアイランドピーク主峰を望む。
標高5900m、ここまで登ってきてようやく見ることができた。
頂はまだ遠い。
そんな時にふとプラトーの中央を見れば、ルートのすぐ横に大きな物体が。
デポ品かなと思い、シェルパになんとなく尋ねてみると・・・
シェルパはためらいもなく言い放った。
「あれは昨日ここで亡くなったインド人の死体だ」と。
衝撃の一言とはまさにこの事をいうのだろうか。
シェルパによれば、このインド人は高山病になったにも関わらず、
目の前の頂上に登るんだと言って聞かず、下山を主張するシェルパのいうことを聞かず、
そして意識を失ったという。
「・・・・」
聞いてはいたが、実際にその物を目の前にすると、なんとも。。
ここはそういうところなのだ。まさにそれを実感した。
頂上稜線のコルから下がる傾斜の強い氷のガリー(溝)にクライマーが取り付いているのが見える。
しばらく待ち、いざ取り付く。
フィクスロープにユマーリングをかけ、いざ登る。
初めてのユマーリングで若干戸惑ったけど、休み休み登る。
初めて息が上がり、高度の影響を感じた。
雪壁を時間をかけて登り、最後は若干ハングしてる雪壁を強引に乗り越えると、主稜線のコル(6050m)。
目の前にはローツェ南壁がドカーンと登場!!
凄すぎて何も言えない。
ヤバすぎます・・・
頂上へと続く主稜線。
見事なリッジが頂上へ伸びている。
フィックスロープをかけ替え、いざ頂上へ!
午前8時40分、BCより登り始めて6時間半、アイランドピーク(6189m)の頂に立つことができた。
なんというのだろうか・・・
うれしい気持ちももちろんあったが、ほっとした気持ちが大きかった。
未知への挑戦、少なからず不安があったのは確かである。
そして思っていたよりも、余裕をもって登ることができた。
さらなる高みへの挑戦を、ヒマラヤの山々を眺めながら思っていた。
アイランドピーク頂上でガイドのアンパサンシェルパと。
二人で持っているのはナムチェバザールで見つけた日の丸(日本国旗)。
「平和」・「幸福」という文字も。
頂上に立てたのはシェルパのおかげである。
それではアイランドピークより望む360度の大パノラマをどうぞ
!!
まずなんといっても目に行くのが・・・ローツェ南壁(8516m)。
あまりにも近く、あまりにも高く、その迫力ったらもう・・・・
視線を移せばチョーポウ(左)の稜線の背後には世界第五位の高峰・マカルー(8463m)。
世界最難の壁ともいわれるマカルー西壁。
8000mを超える高所でハングしているという・・・。確かにそんな感じがした。
バルンツェ(7152m)。
ピーク41・メラピーク・カンテガ・アマダブラム....。そして眼下にはイムジャレイク。
ピーク41(左奥)の鋭峰の右奥にはメラピークも。
メラピーク(6461m)はアイランドピークと並び人気なトレッキングピーク。11月には友人がチャレンジする。
辿ったてきた雪稜の向うには連なるネパールヒマラヤ。
スウェーデンのガイドパーティも上がってきた。
秀峰・アマダブラム(6814m)。
素晴らしいの一言。その容姿もすっかり変わりました。
カンテガ(左奥)やヌンブール(右奥)も。
ロールワリン山群を遠望。
タウチェやチョラツェを前景に重なるように連なるネパールヒマラヤ。
チョラツェのはるか右奥には一際鋭いガウリサンカール(7135m)!!
遠くチベット国境の山々。
右奥の高いお山はチョオーユ(8201m)。
そしてヌプツェ(左)にローツェ。
アイランンドピークからは360度の絶景を楽しむことができました。
[10月27日]
チュクン⇒アイランドピークBC(5000m)
直さんとまたの再会を約束し、チュクンを出発。
氷河の末端を渡る。左手にはローツェにヌプツェ。そしてチュクンリ。
チュクンの村を振り返る。プモリの白い頂もわずかにのぞく。
イムジャレイク(氷河湖)より流れ出る川の流れる広大な台地。
アイランドピーク(左)やチョーポウ(中央左奥)、バルンツェ(右)・・・と連なるヒマラヤ。
お天気も良く、最高に気持ちが良い!
大荷物を背負うポーター達。
ネパールのの人々は皆肩では無く頭に綱をかけて担ぐ。
重さはゆうに30kg以上、日本人がいきなりやったら首が折れそうだ・・・。。.
黙々と歩くポーターと見守るヒマラヤの山々。
これもまたヒマラヤを象徴する風景。
目指すアイランドピーク(右)。
まだまだ高い。果たして明日、あの山の頂に立つことができるのだろうか・・・?
初の6000m峰、少なからず緊張していたと思う。
常に目の前にはローツェ南壁。
とにかく圧倒されてばかりだ。
言葉では表せないとてつもなく大きなスケール。スゴイ!
アプレーションバレーに入ればアイランドピークもいよいよ近づいてきた。
手前にいるのはシンガポール組。20代の男女6人で、彼らもアイランドピークにトライする。
振り返れば広大なアプレーションバレーの向こうにはタウチェ(左)とチョラツェ。
チュクンから約3時間、アイランドピークBC(パレシャヤ・ギャップ)に到着。
標高は5000m。調子は良い。
ここはBCの一番手前。自分達はここにテントを張った。
この旅最初にして、最後のテント泊。
高度順応をかね、近くをお散歩。
5分ほど緩やかに登るとアイランドピークBCのメインエリア。色とりどりのテントがたくさん。
そして、BC背後の丘に登る。
がレ場の急坂を一気に登れば・・・
巨大な氷河湖・イムジャレイク。
その奥には巨大なバルンツェ(7152m)。
イムジャレイクは氷河が融け、年々大きくなっているという・・・。
その原因は地球温暖化。
もしも将来このイムジャレイクが崩壊したら、エベレスト街道沿いの下流の村は全て流されてしまうという・・・。
とても素朴な生活を送る人々の暮らしが脅かされているのだ。。
下流方向を望む。
今日も1日良い天気だった。
明日はいよいよアイランドピークへのサミットアタック・・・!
[アイランドピークへの出発の朝、チュクンのポーターハウスの前でご主人のチワン・ドルジェシェルパ(中央)と。]
チュクンに下りしばらく休んでからは、直さんのトレッキングの住居その名も「ポータハウス」を訪ねた。
このポーターハウスとは、トレッカーの荷物やロッジの物資を運ぶ、ポーターとよばれる人々の泊まる所。
ポーターハウスにもちゃんとサウジ(ご主人)やサウニ(女主人)がいて、ポーターに食事を提供し切り盛りしている。
デボチェで出会った直さんはネパーリーオンリーな素朴な雰囲気に魅かれ、ポーターハウスを渡り歩いている。
ネパール人は皆さん良い人で居心地は最高だ。
皆,普段接することのほとんど無い外国人に興味津々だ。
怒涛の質問攻めにあう(笑)
まさに掘立小屋なポーターハウス。
豪華なロッジに慣れた欧米トレッカーはまず近づいて来ない(笑)
田舎に行けばこのような所に泊まるのが常なので個人的にはなんの問題もなし。
ネパール人と英語を交え喋りながら、ダルバートを頂く。
写真のとおりポーターはほとんどが若い少年や少女だ。
日本でいう高校生ぐらいの彼らは、皆めちゃめちゃ荷物を背負って、強い。
それでも1日に貰えるのは7~800ルピー(800円)ほど。
それから食費も消え・・・、1日1日を生きるのに懸命だ。
彼らと話しながら、いろいろと考えさせられた。
[ポーターと触れ合う直さん。ロブチェのポーターハウスで。]
そんな彼らのためのポーターハウス。
このチュクンのポーターハウスにはアイランドピークから戻ってきた際に泊まりましたが、ご主人のドルジェさん一家には涙が出るほど良くしてもらいました。
直さんに影響を受け泊まったポーターハウス、クンブートレッキングはで2回(チュクンとゴーキョ)泊まりました。
あまりにも有名なエベレストがあるが故に多くのトレッカーが押し寄せるクンブーエリア。
そんな背景がに乗じてツーリストプライスで年々値段の高騰しホテル化するロッジ、そしてこれらとは対象的なポーターハウス。
何よりもツーリスト慣れしていない素朴なネパーリーとの交流は素晴らしいものでした。
・・・・・
ただ、問題がひとつ。
個人的には全く問題ないだけど、ガイドのシェルパが露骨に嫌な顔をする・・・。
プライドが高く、あれやこれやと文句をつけ、引き離そうとする・・・。
大目標のアイランドピークが控えているのでグッとこらえたが、その態度に少なからず腹が立った。
そしてそれが後のちょっとしたトラブルに繋がるのですが・・・。
[10月26日]
チュクン⇒チュクンリ(5550m)⇒チュクン
夜、外に出てみれば空は満天の星空。
次から次に流れる流れ星・・・。
とても美しく、とても近い、素敵すぎる星空に、寒さも忘れてしばし見入っていた。
朝起きれば目の前には鋭くそそり立つアマダブラム。
ぐるりと囲むヒマラヤの高峰。
来し方を見ればタウチェ(右)やロールワリン(左奥)の山々。
ナムチェバザールからは間近に望めたコンデンリ(中央手前)も遠くなった。
そしてコンデンリに重なって、ヌンブール(中央奥)も望むことができる。
カレルン(左)やテンカンポチェ(右奥)の姿ものぞく。
素晴らしい眺めだ。
ヌンブールやカレルンは、後に訪れるピケピークからは正面に大きく望め、展望の主役のひとつともなるのでした。
この日はチュクンにステイ。
高所順応を兼ね、チュクンリ(5550m)に登る。
チュクンリへは直さんも一緒だ。シェルパは自分の客ではない直さんが一緒なのをあんまり好んでいるようではなかったが・・・。
登り始めに氷河から流れる川を渡り、急斜面に取りつく。
川を渡るための飛び石は凍結し、いささかスリリング。
標高にして300mほど登ると広大な台地に登りつく。
ここまでは昨日登った。標高は5000m。
目の前にはローツェからヌプツェに連なる8000mの稜線が雄大に広がる。
台地を抜ければ再び急登。
この時はてっきり高く見えた、左のぼた山か右の黒い岩峰のいずれかがチュクンリのピークかと思てたんだけど、
実はチュクンリのピークは中央右の奥の黒い岩峰だった。距離感の問題だろう。
急登を登り切ればコル(中央)に出る。さすがに息が苦しい。
標高が5350mほどのコルからは北側の展望があける。
眼下には広大なエベレスト氷河。その向こうには白き峰々。
ピラミダルなプモリが一際目立つ。その左にはギャチュンカン(中央奥の台形)やチョオーユ(左)もちらりと。
コルから望むチュクンリの真の山頂(中央の黒い岩峰)。
シェルパに聞けば、このコルで帰ってしまうトレッカーも結構いるらしい。
左手には下から見えてたボタ山の頂上へ続く道も。
少しすれば直さんも上がってきた。結構きついらしい。
5300mを超える標高では無理もない。
ここからの眺めは素晴らしい。
目指すアイランドピークの右上には世界最難ともいわれるマカルー西壁(8463m)・・・!!
アマダブラムはほんとカッチョイイ!!
しばし眺めを満喫し、いざチュクンリの「真のピーク」へ。
直さんは休憩して行くとのことで、一足先にスタート。
コルからの登りでは空気の薄さを感じた。
巨岩を縫うように登って行く。ビスターリビスターリ・・・
周りの景色は最高だ。
やがてチョルテンとたなびくタルチョが見えてきた。
この旅最初のピーク、チュクンリ(5550m)の頂上である。
360度の素晴らしい眺め。
アイランドピークの頂上稜線の上に大きいマカルー西壁。
ちなみにアイランドピークの頂上はマカルーとチョーポウ(左)の間、頂上稜線の一番高く見えている所。
バルンツェ(左)やヒマラヤ襞の美しい無名峰(右)。
無名峰、アマダブラム、タムセルク・・・
右下にはチュクンや5000m台地から見えたボタ山も。
そして目の前にはローツェとヌプツェの巨大な南壁。
とにかく近く、圧倒的。半端ない!!
風にたなびくタルチョ。そして遠くにはプモリ。
チュクンリ頂上で。
バックにはマカルー西壁にアイランドピーク。
ガイドのアンパサンシェルパは写真を撮るのがお好き。
特にこちらからリクエストもしてないけど、縦に横にズーム・・と(笑)
欧米人と多くの高所登山をこなしてるからでしょうね。
なかにはこんなお写真も。
チュクンリの眼下には巨大なローツェ氷河。
日本では見ることのできない巨大な氷河にも感動です。
憧れの8000m峰をはじめ、素晴らしい景色を満喫できた幸せな一時でした。
コルまで下りればナムチェから前後して歩いているシンガポールの若者チームと出会う。
少し話をしたが、いつも賑やかな彼らもこの高度でさすがにぐったりのようだった。
チュクンまではマカルー西壁やアマダブラムを見ながら下った。
ヒマラヤは素晴らしい・・・
1月9日
富士山六合目→富士山・吉田口頂上→馬返し
八合目から登ること1時間。
山小屋をぬうように登って行けば本八合目。
富士山特有の広大な裾野に、この高度感。
頭上には青空が広がる。
ところが、甲府盆地の向こうの八ヶ岳は、稜線が相変わらず雲の中だ。
目を転じれば、相模湾や芦ノ湖。水面がキラキラと光ってる。
ここは標高3400m。眼下に見える相模湾は標高0m。
考えてみればすごい光景だ。
富士山という山の大きさを体感・・・!
山中湖の奥には丹沢の山並み。東京都心や我が町・八王子からもきっと見えてるでしょう。
ここにきてようやく頂上の鳥居が・・・!
手前には最後の山小屋。
夏は人でごった返す登山道も今は静かなものだ。
最後の山小屋を抜け、登っていく。
風がいよいよ強くなってきた。
上方を見れば、九合目の鳥居の上には二名の先行者。
ここに来て初めて先行者を目にした。
後ろを振り返るとUさんの姿は無い。
今回はそれぞれ自分のペースで登ろうと話していた。
登るも下るも各々の判断で、と。
不気味に光り輝くアイスバーン。
写真を撮るにも場所を選んで、足元蹴りこみ・・・・。
ここから先はミスは許されない。
風雪にさらされる九合目の鳥居。
登っても登っても頂上はなかなか近づかない。
この遠近感・・・日本で味わえるのは富士山ぐらいでしょうか。
登り始めて4時間半。富士山・吉田口頂上。
風は強くなってきたが、なんとか登ることができた。
厳冬の富士山の頂は格別だ。
少し移動し、日本の最高点でもある富士山・剣ヶ峰を見に行く。
巨大な噴火口の向こうには富士山・剣ヶ峰。
風に流れる雲。
時間も順調で体力的にも余裕があったので剣ヶ峰を目指ざし御鉢巡りをとも思ったが、
強さを増してきた風、湧いてきたガス...などもろもろの事を考え、今回はやめることにした。
厳冬の日本最高点にはそりゃ立ってみたい。
吉田口頂上に戻り下方をみれば、Uさんも登ってきた。
風もあり寒かったが、そこまで厳しくはなかったのでUさんを頂上で待つことに。
頂上ではセルフタイマーで写真を撮ったり、最高点・剣ヶ峰を見に行ったりと、なんやかんやで40分以上もいました。
しばらく待っているとUさんが登ってきた。
写真を撮って、すぐ下降。なんだかんだで頂上は寒かった。
Uさんはかなりお疲れのようで、途中で引き返そうかとも思ったらしい。
核心の9合目~頂上の下り。アイスバーンにしっかりアイゼンを差し込み慎重に下った。
ここで滑落すれば、はるか眼下まで真っ逆さま。
なにか吸い込まれそうな異様な雰囲気・・・
傾斜の緩んだところで、一枚パチリ。
なんとも言いようがない、太陽に照らされる雪面。
七合目付近まで下り振り返る。下りは早い。
頂上付近は良い風が吹いているようだ。
六合目に下ってくる頃には、南アルプスや八ヶ岳の稜線も雲が取れ見えてきた。
無事にテントへ帰還。
張ったのは四方を囲まれたこんなところ。
すぐ横には主のいない黄色のテントが寂しげにたたずんでいた・・・。
テント撤収し、馬返しへ。
六合目から振り返れば富士山。太陽は裏に隠れ、すでに暗い。
既に閉まっている佐藤小屋を横目に、雪のない道を馬返しへのんびり下った。
富士山はとても大きい山。夏のように五合目から歩くのとはまた一味違う。
厳しい冬の富士。
無事下山できたことを、祀られている神に感謝した。
厳冬の富士。
雪はとっても少なく、風もこの時期の富士としては恵まれたと思います。
今回は条件に恵まれ、吉田口頂上まで登ることができました。
富士山に登らせていただいたという気持ち。
またあの独特な雰囲気を味わいに行きたいものです。
次は雪も多くなり、アイスバーンがさらに硬くなり、山がより厳しいくなる2月でしょうか。
冬富士のような大きな山はやっぱり良いですね!!
(参考)
六合目655
845八合目・太子館855
950本八合目955
九合目鳥居1045
1120富士山・吉田口頂上1200
1415六合目1445
1635馬返し
1月9日
富士山・六合目→富士山・吉田口頂上→馬返し
朝起きれば天気はまずまず。
しかし頂上部分は雲が流れている・・
それにしても雪が少ない・・・
昨日すれ違ったほとんどの人々はアイゼンを着けていたけど・・・しばらくはいらなさそう。。
6時55分、剣ヶ峰を目指し出発。
歩き始めるとすぐに太陽が昇ってきた。
いつ見ても素晴らしい瞬間・・・!
ほとんど雪の無い道をもくもくと登っていく。
ジグザグにしばらく登ると、だんだんと7合目が近づいてきた。
まるで要塞に山小屋が連なる七合目。
振り返れば眼下には山中湖。
七合目のあたりから雪が出始め、ところどころ凍っていたのでアイゼン装着。
しかし七合五尺の鳥居への階段にはなんと雪がない。
河口湖や御坂山地を見る。
それにしても、あまりにも雪が少なくなんだかさみしい・・・。
お隣の吉田大沢もご覧のとおり。
でもいくらかこちらの方が雪がある。
昨冬は八合目下まで吉田大沢の端っこを歩いたけど、今回もそうすればよかったかも・・・。
所々岩が出ていてほんと歩きにくい。
アイゼンには最悪だ。。しかしすぐに雪が出てくるので、外すのをためらってしまう(ちょっと反省)。
八合目・太子館前で一息。
上部を見ればここからはしっかり雪もついている。
風も吹いてきた。
ここは標高3000m。
頂はまだ遠い。なんと大きな山なんだ・・・!
たなびく雲がなんとも良い。。
振り返ればはるか眼下には山中湖や河口湖。
随分登ってきた・・・!!
山中湖の向こうには丹沢の山並み。
蛭ヶ岳(中央の高いの)や大山(右奥)がよく見える。
左のピラミッドのお山はもしかして大室山?
こちらは河口湖方面。
三つ峠山(中央)の頂上アンテナや高川山(右奥)がよく見える。
河口湖の背後には御坂山地の最高峰でもある黒岳。
こんな時間になっても頂上部分は霧氷によって白い。
昨日渡った河口湖大橋もよく見える。
あそこから見上げた時に比べれば頂上も大分近くはなった。
頂上までの標高差はあと700m。
1月8日
八ヶ岳山麓→富士吉田・馬返し→五合目・佐藤小屋→富士山六合目
八ヶ岳で素敵な一夜を過ごし快晴な青空の下、南アルプス市在住のTさんのご厚意で冬の富士山・吉田口の入口である馬返しまで車で送っていただく。
御坂トンネルを抜け、河口湖の湖畔からはドカンと富士山。
圧倒的な大きさ!!「デカイ!デカすぎる・・・!!」
あの頂にほんとうにたてるのか・・・はてしなく遠くみえた。
もともと独特な緊張感があったが、いざ目の前に立つとさらに気が引き締まる。
登山口の馬返し。
思えばここに来るのは昨年の2月以来2回目だ。
あの時は冬富士という巨大な山を前にとてもピリピリしていたのを思い出す。
そしてこの場所に張ってあった遭難した高校生の情報提供を求める貼り紙をみて、さらに嫌な気持ちを覚えたのを思い出す。
その高校生とは前年の3月西穂高岳で会っていた。
とても印象的だったので、冬富士遭難のニュースを見た時、もしやとは思った。
同じY市、高校生、単独・・・・冬富士に単独で挑む高校生は普通いない。
西穂高岳にご一緒したⅠさんと「もしや・・・」とは話していたが、実際に馬返しで彼の写真を見たときは何とも言えない気持ちになった。
そして僕は意を決し単独で挑み、頂上まで登らせてもらい、無事下山することができた。
朝は風が強かったが、登るにつれて風は弱まり吉田口頂上まで登ることができた。
広大なアイスバーンの大斜面。頂上からの下りは緊張した。ミスは許されないのである。
あの異様な雰囲気は忘れられない・・・
それ以来の冬富士である。
初夏に日帰りで登ったが、とても同じ山には見えなかった・・・
馬返しには連休ということもありたくさんの車。
Tさんにお礼を言い、五合目目指し歩き出す。雪はびっくりするほど無い。。
鳥居に一礼し、いざ日本一の霊峰・富士へ。
今回の冬富士はUさんと。
単独であった前回に比べれば、気持ち的にはやはり楽。
マイペースでのんびり登っていく。
一合目・二合目・三合目...昔の名残を感じる廃屋などを横目に見ながら。
それにしても雪は少ない・・。
五合目下の林道はこの通り・・・
コンクリート丸見えです。。。
見上げる頂上部分。登山道は左の木に隠れ見えない。
冬でもやってる五合目・佐藤小屋(要予約)。
12月の週末や年末年始は雪上訓練など多くの登山者で賑わうらしい。
初めて富士山に登った2009年4月、佐藤小屋に泊まったが薪ストーブが温かい昔ながらの良い小屋だった。
あの時は快晴、富士山剣ヶ峰からの南アルプスの長大な連なりには感動したものだ・・・!!
そしてゆでダコの如く真っ赤に焼けたっけ・・・。
小屋の前の広場からは素晴らしい眺め。
南アルプス・八ヶ岳・奥秩父・・・そして手前には御坂山地の連なり。
甲府盆地の向こうに八ヶ岳。
まるで浮かんでいる島みたい・・・
それにしても黒い。。。
御坂山地や河口湖(右手前)の向こうには奥秩父の山並み。
金峰山(左奥)も黒く、ほとんど雪が無いような・・・。
登山者憩う小屋前の広場。
晩秋の雰囲気・・・、たなびく雲がとても良い。
時間も早いので、もうちょっと登ることに。
神様眠る六角堂。
この辺りから所々雪の上を歩く。
下山してくる登山者もちらほら。
湧き立つ雲。
この日は暖かく、無風快晴。
下山してくる登山者も皆笑顔だ。
冬富士らしからぬ絶好の登山日和。
天気図などから、こうなることは予想がついていたけど・・・。
この日なら御鉢めぐりもできただろうにな~と思いつつ、頂を眺めていた。
雪は見るからに少ない。
しかし、頂上部にはアイスバーンが不気味に輝いていた。
ふと右手を眺めればスバルライン五合目の建物の上には南アルプス北岳(中央左)。
こちらも雪が少なく見える。
お隣の鳳凰三山・甲斐駒ヶ岳にいたっては真っ黒だ。。
(下山時撮影)
この日は六合目の建物の陰に幕営。
ここは四方を壁に囲まれた最高な立地。
しかし、ある気になることが・・・。。
すぐ横に見た目新しい黄色いテントがポツリと。
最初は持ち主が頂上アタック中なのかとも思ったけど、しばらく経ってよく見るとおかしい・・・。
嫌でも気になるけど、今さら移動するのも無理。
薄々何を意味するか感じてはいたけれど、正直気味が悪かった・・・。
Uさんとあれこれ喋ったり、シュラフにくるまりゴロゴロしたりと、時間をつぶしているとやがて日が暮れてきた・・・。
冷え込むテントの外に出れば、雲海が一面・・!
雲海の上には奥秩父(左奥)の山が顔をのぞかせる。
綺麗な夕焼け。
満月がとっても美しかったです・・・!
(参考)
馬返し930
1150五合目・佐藤小屋1155
六合目(幕営地)
1月7日はいつもお世話になっている山岳ガイドでありクライマーの花谷泰広さんが主催する「Team First Ascent」の新年会で八ヶ岳の麓へ。
幹事のSさん主動のもと、持ち寄りの食材もあわせて、素晴らしい豪華料理がテーブル一杯に!!
チーズフォンデュに始まり、馬刺し、すき焼き・・・次から次へと。
お腹いっぱいいただきました。ほんとにたくさん(笑)
ありがとうございました。
そして、満腹でツライところに・・・サプライズ!!
テントウ虫の・・・ケーキです。
これは別腹・・!
美味しくいただきました。
その後もあれこれ語り合ったりと、素敵なコテージでのとても楽しい一時でした。
それにしてもなんでてんとう虫だったんだろう?
1月6日、遅ればせながら地元・高尾山へ初詣に行ってきました。
高尾山口駅でYちゃんと合流し、まずは山頂目指し稲荷山コースへ。
いつも歩くのがこの稲荷山コース。ひと登りすると展望がひらけ、関東平野が一望!
すぐ目の前には八王子の街並み。八王子駅の駅ビル(左手前)が目立ってます。
そして遠くには東京都心のビル群。
新宿の高層ビル群やスカイツリーがよく見えました。
そして関東平野の向こうには筑波山。
お喋りしながら登ることしばし、最後は階段を登りきれば高尾山山頂。
相変わらずの大混雑・・・。
この日は学生の集団がたくさんいました。
お天気良く、山頂からは丹沢・富士山・南アルプス...良い眺め。
ドカンと富士山。雪は少ないですな・・・
三つ峠山(左)から滝子山(右奥)・・・見渡す限り広がる中央線沿線の山々。
そしてその向こうには白き南アルプスの峰々・・・!
農鳥岳(右)に塩見岳(中央左)、蝙蝠岳?(左)・・・
厳冬期の頂は遥かに遠い。
頂上からは薬王院へ。
新年の目標を宣言してきました。
そして・・・お楽しみの運試し!!
結果は・・・大吉!!
年男な今年。充実した良い一年になるようにしたいものです。
そして今年は平穏な一年になるのを願うばかりです。
久しぶりの高尾山。(といっても半年ぶりくらい・・?)
人の多さはともかく、すぐ近くに身体を動かせる高尾山。
雪山も良いですが、冬の低山もまた良いですね。
今年も無事安全に登山ができますように・・・
1月4日
大倉→二俣→後沢乗越→鍋割山→小丸尾根→二俣→大倉
2012年の登り始めは丹沢・鍋割山へ。
早朝Kさんと合流し、塔ノ岳の登山口として有名な大倉へ。
同じ街に在住のKさんとは今日が初顔合わせ。
知り合ったのはツイッター、なんとも今風なネットの世界である。
大倉から歩きはじめ、Kさんとあれこれお喋りしながらしばらく林道を歩くと二俣。
川を渡り小丸尾根の分岐を過ぎ、少し歩くと道の脇に大量のペットボトルに説明の看板。
なんでも鍋割山の頂上まで、水運びのボランティアをお願いします・・・
そりゃやるしかないだろということで、ザックに入るだけペットボトルを詰め込みました。
その数2L×5・・・少ないですね~、なんだかすみません。。
冬枯れの森を黙々と登ること1時間15分。
鍋割山の山頂に到着。
頂上には鍋割山荘。
山頂も小屋の中も多くの人で賑わっていた。
鍋焼山といえば・・・100キロをもの歩荷をした鍋割山のご主人と、
鍋焼きうどん!!
具だくさんで、美味い~!!冷え切った身体には最高です!温まりました。
富士山は雲の中・・・。
強い冬型の影響かな。。
その左には愛鷹山。
同じ道を帰ってもあれなのでと、Kさんと相談し小丸尾根まわりで帰ることに。
鍋割山から稜線を少し行くと・・・丹沢の主稜線が左手に!!
塔ノ岳(右奥)~丹沢山。
谷を隔てて、不動ノ峰から蛭ヶ岳にかけての主稜線が素晴らしい!!
丹沢山系の最高峰・蛭ヶ岳(1673m)。
蛭ヶ岳から西へ連なる稜線。
檜洞丸(左)へと連なるこの稜線も歩いてみたいものです。
稜線からは眼下に湘南の海。
たなびく雲が良い感じ・・・
冬枯れの森。
気持ち良い!!
下りは小丸尾根へ。
左手には丹沢の山並み。三ノ塔や大山(左奥)。
急斜面を一気に二俣へ下り、大倉へ。
冬枯れの森の、気持ちの良い山歩きを楽しむことができました
(参考)
[10月25日]
ディンボチェ⇒チュクン⇒5000mまで順応⇒チュクン(4730m)
朝、ロッジの外に出れば、朝日に輝くヒマラヤ。
タウチェ(6495m)そしてチョラチェ(右奥)が鋭くぶったつ。
アマダブラムや・・・
カンテガ、タムセルク(右)、凍てつく北壁の夜明けはもう少し先のようだ。
気持ちの良いヒマラヤの朝。
しかし、4000mを越え空気は薄い。
Kさんは高山病に悩まされていた。
そして、チュクンを諦め、ポーターとディンボチェに残ることになった。
残念だがこればかりはしかたがない。高所では少しの無理が致命的になる。
ここはそういうところなのだ・・・。
そして、後にそれを目の前で体感することになる。
Kさんの見送りを受け、いざチュクンへ。
目指すアイランドピーク(中央のピラミッド)が初めて姿を見せた。
お隣にあまりにも高く大きなローツェ(8516m)があるので、ちょっと存在感に欠けはしますが・・・
アイランドピーク(6189m)もなかなかかっこいいです!!
頂はまだ遠いい。
ザックにはナムチェバザールで見つけた日の丸。
ローツェ氷河から流れる川を渡れば、チュクンの村に到着。
少し休み、直さんと合流してお散歩へ。
高所順応をかね、チュクンリの道を途中まで登ってみることにした。
右手にはバルンツェ(7152m・左)やヒマラヤ襞のきれいな山々。
さらに登るにつれ、バルンツェの左手の山の稜線の上にはマカルー(8463m)も・・・!!
急斜面を登りきれば、広大な大地。
その奥には巨大なヌプツェ(7864m)。
チュクンリは左の高い丘かな・・?(と思ったけど、違った・・・。)
ここはちょうど標高5000m。
ローツェは雲の中であったが、巨大なヌプツェやマカルーの姿、
そして5000mまで登ったことに満足し、チュクンへと駆け下りていった。
[10月24日] →
デボチェ⇒パンボチェ⇒ソマレ⇒ディンボチェ(4410m)
青空に映えるアマダブラム。お天気は本日も快晴!
山は好天周期に入ったみたいだ。
気持ちの良いトレッキング。
しかしKさんは高山病にかかってしまい、苦しそうだ。
ビスターリビスターリ(ゆっくり。ゆっくり。)進む。
前方には世界第四の高峰・ローツェが大きい!!
さらにエベレストもほんとにちょっと。
「そりゃそんなに背負ったら、水飲みたくなるよな・・・。」しばし待ち。
ソマレでランチ。アマダブラムはまさに目の前。
「あれ・・・?ちょっと丸くなった?」
常に前方にはローツェ南壁。
どんどん大きく・・・、ヤバすぎる。
「ムシャムシャムシャ」草をほおばるヤクの子供。
かわいい。大きくなれよ~。
大きなデンボチェ村(4410m)。
村に着いた時は山々はガスにかかってしまった。
明日こそは目指すアイランドピークが見えるかな・・・。
そしてこの日も素敵な出会いが・・・!!
デボチェで出会った北海道出身の直さん(中央)。
彼はなんと世界一周中!!
北米カナダに始まり、北米⇒中南米⇒南米⇒アフリカ⇒欧州⇒中東⇒インドと約2年に渡り歩きネパールにやってきた、自分からしたらとんでもない人。
そんな直さんとはこのあと珍道中を繰り広げるわけですが・・・、
え~、いろいろとやってくれちゃいます(笑)
しかし、この時はそんな展開になるとは思いも知らず・・・。
※画像提載許可快諾済み。
[10月23日]
ナムチェバザール⇒キャンズマ⇒プンギタンガ⇒タンボチェ⇒デボチェ
今日も快晴!!
青空に映える、ヒマラヤの秀峰。
気持ちの良い山腹道を行く。
目の前には幸せすぎるこの景色。。
アマダブラムの中腹にはタンボチェ、そしてそこにいたる急坂も良く見える。
素敵すぎる・・・!!
ゴーキョへ向かう道を分け、急坂を300m下るとプンキタンガ。
激流のドゥドゥコシを渡って、タンボチェへの急坂へ。
高所順応バッチリな彼らは勢いがケタ違い!!
登るにつれて、再びヒマラヤの高峰が目の前に・・・!!
苦しい登りの中でも、思わず笑顔が。。
カンテガ(6783m)にタムセルク(6618m・右奥)。
これでもまだ6000m峰、ヒマラヤのスケールの大きさは圧倒的!!
約600mの急坂をこなしタンボチェ(3860m)に到着。
エベレストやローツェも再び!
大きなゴンパが有名なタンボチェ村。
タンボチェからは少し下り、この日はデボチェまで。
デボチェから望むヒマラヤ。
その、すぐ横では「カンカンカンー」と響く音。
新たなロッジを建設中、機械なんてなにもなし・・・
石を砕いて削って積み上げて・・・全て手づくり。
小さな子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、日没すぎてもコツコツと・・・
そんな力強く生きる人々を見守るヒマラヤの山々。
やがてヒマラヤが夕焼けに染まりはじめる・・・!
美しい。言葉になりません。
燃えあがるがごとく真っ赤に焼けるヌプツェ・エベレスト・ローツェ(左より)。
サガルマータ(エベレスト)は最後まで輝いていました。
[10月22日]
ナムチェバザール⇒シャンボチェ⇒エベレストビューホテル⇒クムジュン(3780m)⇒クンデ(3840m)⇒ナムチェバザール
夜空には満天の星空。その下には白峰。
最高のお天気に興奮を抑えられない!!
部屋の窓からはコンデ・リ(6186m)が美しい!!
いてもたってもいられず・・・Kさんをお誘いし、2人でナムチェバザールの村の東にある国立公園博物館(チョルクンの丘)へ。
ナムチェの村からは見えないあるものを見に。。
丘に登れば、クンブー山群を代表する高峰が、どどーんとお目見え。
ヌプツェからローツェにかけての8000mの稜線の上には・・・
世界最高峰エべレストもこの旅初登場!
頭がちょこっとね。
エべレストお初のKさんは大興奮!!
振り返れば朝焼けに染まりはじめるロールワリンの山並み。
正面には大きく聳えるテンギ・ラギ・タウ(6938m)
大満足な朝の一時でした。
この日は一日順応トレッキング。
まずはシャンボチェへの急坂。
振り返れば眼下にはナムチェバザールの家並みが綺麗。
すり鉢状なのがよくわかる。
背景が素晴らしすぎる~。
急坂を登り切れば、正面にクンビラ(5765m)。
クンビラはシェルパ族にとって聖なる山(ホーリーマウンテン)。
登ることは禁止されているという。
青空に映える「Top Of The World」。
アマダブラム・ローツェ・エべレスト・タウチェ(右から)・・・
ゾッキョ(牛)も良い感じ・・!
いつか登ってみたい・・・
Kさんと。
エべレストやアマダブラムを眺めながら歩き、立派な石段を登ると・・
「ホテル・エべレストビュー」
ここのオーナは宮原さんという日本人。
ホテルの中にはこんなものも。
周りはみんな行っているけど、自分は行ったことないんだよなぁ。今年行ってみようかな・・・燕岳。
・・・以上余談でした。。
テラスに出れば、この眺め。
最高です!!
続いてはシェルパの村・クムジュンへ。
村を守るように聳える聖なる山・クンビラ。
振り返ればアマダブラムとローツェ。手前にはチョルテン。
The ヒマラヤな素晴らしい眺め。
クムジュン村。
その奥には同じくシェルパ族の村・クンデも見える。
穏やかなクムジュン村。
ここの標高は3800mほど。既に富士山越え。
空気は薄い。
でも、村の子供達は元気に走り回っている・・・
半端ない(笑)
クムジュンでは村の中心にあるゴンパへ。
シェルパはお祈り。
こんなものもありました。
それは・・・「イエティ(雪男)」の頭蓋骨。
本物らしいです、ゴンパのお坊さんがいうには、はい。
クムジュンを後にし、お隣のクンデ村へ。
ここではある大きな目的がありました。
このお母さんに会うためです!!
この方は、夏に北アルプス・剣沢小屋でともに働いたアンヌルシェルパのお母さん。
お母さんとは2年前にもお会いしました。うれしい再会。
お母さんに見送られながら、ナムチェバザールへ。
エべレスト街道から少し離れているがゆえの、静かなクムジュン・クンデ。
次来るときは泊まりたいものです。
飛行場というよりはサッカー場な、シャンボチェの飛行場を抜け・・・
ナムチェバザールへ。
村の上にあるシェルパ文化博物館に寄り道。
館内にはエべレストに登ったシェルパを称える写真や、歴史上の有名な登山家の写真がずらり。
世界最高峰・エべレスト(ネパール名・サガルマータ)初登頂時の写真(中央右下)も。
エドモントヒラリーとシェルパのテンジンノルゲイ(右)。
そしてこの人の写真も!
冒険家「植村 直己さん」
ご存じ1970年エヴェレストに日本人初登頂をされた、日本が誇る冒険家!!
・・・しかしよーく見ると、あれれ・・・。。
夕方はKさんとナムチェバザールの村中心部をを散策。
ふと空を見上げれば、雲の合間にはクスムカングルの美しいヒマラヤ襞・・・
そしてこの日も素敵な出会いが。
バザールを歩いていると・・・
「I remenber to you!!」
横を見ると「!!」・・覚えのある女性。
そう、二年前に泊まったホテルの奥さんである。
そして、ホテルに招かれ・・・
彼女の旦那、ハクパシェルパと2年ぶりに再会。
実は彼、10年ほど前研修生として来日し、北アルプスの剣御前小屋で働いていたという。
偶然泊まったホテルで、日本語が話せるてだけでも驚いたのに、
富山・剣・剣御前のオーナーS.Kさん...次から次へと、たまげました(笑)
これは二年前。ゴーキョピークからの帰りで、顔も焼け・・・まさに「Same Nepaliy」(笑)
話も弾み仲良くなりました。楽しかったな~。
・・・お茶をご馳走になり、しばしお話。
ガイドは知り合いの所に泊まるのでそれ故に違うロッジに泊まってしまいましたが、
そのことを詫びつつ、帰路泊まることを約束。
良い時間を過ごすことができました。
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