物語の始まり
この遠征の発端は2015年12月27日〜2016年1月1日、5泊6日の飯豊本山であった。はてしないラッセル。風雪の中の飯豊本山山頂。12月31日夕方、山行中で唯一晴れ姿を現した飯豊連峰主稜線、三国小屋より望む大日岳。とてもとても印象深い山旅は新潟山岳会の方々に誘われ参加した。あの時、切合小屋だったか、同行した穂高さんがポツリと「K2遠征に手を挙げてて…」と言った。マナスル遠征から帰ってきた僕は次の海外遠征の事など考えられず、酒を飲みながらうわの空で聞いていた・・・。断片的の記憶しかない。
あれから年月は流れ・・2016年夏は南アルプス・北岳で働いていた。その間、秋に友人とヒマラヤに行くことが具体化し決まった。高所未経験のその友人の「ヒマラヤを見たい」という思いに応え同行を決めた。行き先は足さえ動けばいつでも行けるエベレスト街道などは除外し、私の意向で外国人のほとんどいない昔ながらのネパールヒマラヤが残るマカルーエリアに決めた。私はネパールは6度目であったが、マカルーエリアは初めてで楽しめた。マカルーBCからの帰りは地元の放牧に来る村人しか知らない絶景の道を辿り同行のシェルパの故郷の村を訪れおもてなしを受けたりと忘れられない旅になった。日本では味わえない高所の苦しみや、ヒマラヤのスケールの大きさを体感した友人にとっても唯一無二の経験になったと思う。
マカルーBC(4700m)からは目の前に標高差3700mほどでマカルー(8463m)が聳え立っていた。余裕があった私はマカルーを眺めながら、またヒマラヤの高峰にいつか挑戦したいなと思う自分自身がいた。
マカルートレックからジープやローカル夜行バスを乗り継いで首都・カトマンズに戻り翌日からはランタン谷を初めて訪れる。昨年4月25日のネパール大地震による被害が最も大きかったといわれるランタン谷。村が消失したランタン村をはじめ、大自然の猛威を見せつけられるか、人々は笑顔で強く生きていた。厳しい環境の中でとても印象的。1度しかない人生、精一杯生きなければと思う時間だった。
日本に帰国し、いつもの日常に戻りながら、もんもんと考えていた。何故かネパールから帰国後あまり山に気は向かなかった。
写真を整理しながら、日本の山旅やこれまでの海外の山旅、マナスル遠征の写真を眺めながら、そう言えば穂高さんがK2の事を言ってたな・・
あまり深くは考えずに連絡をしてみた。2017年1月14日のことである。くしくもその前日の1月13日にK2の初登頂をしたイタリア隊の一員で最後の生き残りアブラム氏が95歳で永眠していたそうだ。それを知ったのは小屋番をしていた八ヶ岳から下山してきた3月10日に本屋で読んだRock&Snowの特集でである。



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蔵王・仙人沢アイスクライミング

2月12日
昨日は蔵王・仙人沢へ。風雪の中のアイスクライミング。ボルダー氷柱、糸滝、ミニ氷柱を登りました。久しぶりの天然氷は硬く私のレベルでは登りきるのがいっぱいいっぱいでしたが楽しめました。大変に忙しい2月週末に休暇をいただきました。赤岳鉱泉の関係者に感謝です。下山後は北国の岳人の皆さんとしんしんと雪降る中でのテントで大宴会。物語の始まりです。